義務の恐怖

「アンタは、義務の恐ろしさを知らないから、そんなのんきなことを言ってられるんだ」
―巨椋修(おぐらおさむ)・権利とか正義とかを主張する厚顔無恥な人との対話中―




義務っていうのは、嫌なもんでね。(笑)

人間の三大欲求であるところの、食欲・性欲・睡眠欲でも、義務にされると嫌んなっちゃうんですよ。


もし、1日3回正しく30品目の食事を摂らないといけないとか、夜11時から7時まで睡眠を取るのが義務であるなんて強制されたら、1ヶ月後くらいには、暴飲暴食か絶食拒食、夜更かし朝寝をしたくなる。


SEXなんて、夫婦恋人は必ず週3回することを義務づけるなんて言われたら、男でも女でもたちまちウンザリすると思います。(笑)


義務とか権利とかいうのは一種の脅迫性をもっているんですけど、特に義務っていうのは、人間をカンタンに残酷にしてしまう機能を持っています。


戦場で人を殺すのは、権利というよりも義務かも知れない。


原爆やミサイルを市街地に撃ち込む人も義務。


死刑を執行する人だって、義務としてやっている。


保険所で野良犬野良猫を処分する人だって義務ですからね。


こういったのを権利としてやる人は、普通じゃないって言われます。


義務っていうのは、そういったことを正義としてやらせる。



誠意とか善意というのは、人間の美点でもあるんですけど、それに義務や権利が入ってくると、ひどくいやらしくなりますね。


教育の義務とか、育児の義務とか、福祉の義務とかは、義務というより、みんなが率先してできればいいのですけど、なかなか難しいものなのかも知れませんね。


義務も権利も主張しすぎるとちょっと怖ろしいものです。



FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)