一寸先は希望
わたしは、不登校の子どもがダメだとは思っていないし、思ったこともありません。
また逆に、不登校が素晴らしいなんて思ったこともありません。
もう、それは人それぞれだと思っているのですよ。
それぞれが考えて、感じて、自分や家族が良いと思ったほうにいくのが、たぶん、正解に近いんじゃないかと。
ときどき、発明王のエジソンや、アインシュタインが不登校だったり、学校で落ちこぼれだったけど、後に大成したから不登校児のほうが素晴らしいのだという、ムチャムチャな理論で、不登校を正当化しようとする人もいますけど、それをいうなら
アドルフ・ヒトラーだって不登校だったってことも言っておかないと公平じゃない。(笑)
つまりは人それぞれなんです。
不登校だから良かったという場合だってあるでしょうし、同じ人物でも、そのときどきで、不登校じゃなければ良かったって思うことだってあることでしょうしね。
「人間万事、塞翁が馬」って言葉もあるじゃないですか。
「一寸先は闇」っていう言葉もあります。
一寸先には、何があるかわからないという意味ですよね。
これは、「一寸先は“希望”」であるということでもあると思うんです。
つまり、一寸先を暗く絶望的に考えるか、あるいは逆に、明るく希望をもって生きるか、それをどう考えるのは、その人次第であるということです。
その人が、どう考えるかは、その人の自由。
ぼくなら“希望”を取りますけどね。(笑)
そうそう、以前、不登校の支援者さんが、石原慎太郎東京都知事について、ボロクロに言っていたことがあるんです。
石原都知事が、「不登校は甘えだ」と言ったことがあって、それが気に入らなかったんでしょうね。
「石原知事のようなエリートに、不登校者の気持ちはわからない!」
と、その支援者さんは、いきどおっていたのですが、石原都知事も、元不登校経験者なんです。
人によって、いろいろな考え方、感じ方があるということなのでしょうね。
まあ、ぼくなら「甘えていいじゃないか」って思いますけどね。(笑)
これもまた人それぞれの考えた方なのでしょうね。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)