家族は一体か?
よく「家族は一体である」といいます。
でも家族は一体でもあり、一体ではないと両方言えることなんですよ。
よくさあ
「アタシたちは、一生一緒よ!」
だの
「おまえを永遠に愛し続けるぜ!」
なんて言って、親戚友人一同を集めて、神様の前で誓い合って結婚しても
3組に1組が離婚をするのが現実!!
え? シビアすぎる?
そうは言っても、3組に1組が離婚する現実を前に、シビアもクソもないでしょう。
その何分の一かは、子どもまでいて、夫婦というより家族なんですから。
そもそも、家族というのは、一体つまり一つの体というより、共同体なんです。
まず夫婦という共同体があり、子どもが生まれる。
原始時代は、お父さんは狩りにいったりして食料を確保して、お母さんは巣で子どもを守る。
子どもは成長して、やがて親になり生命をつなぐ。
おばあさんになった母親は、娘や息子の子育てを手伝う。
これが原型。
え?
おじいさんは、子育てに参加しないのかって? 一応しますよ。
しますが、雄の役割っていうのは、自分の遺伝子を雌に残すことなんです。
後、自分の遺伝子を守ることね。つまり雌と子どもを他の雄から守るってことね。
だからおじいさんになっても、狩りに行ったり、自分の家族を、他の雄や外敵から守る仕事をする。
さらに、より自分の遺伝子を残すために、他の雌にチョッカイを出してみたりする。(笑)
ちなみにねえ。
雌だって、生の使命は、自分の遺伝子を残すことですから、おとうさんの遺伝子だけじゃなくって、コッソリ他の雄の遺伝子を残そうとしたりします。
だから雄も雌もどっちもどっちでね。(笑)
で、話は戻ります。
元々、家族の元である夫婦は、一体じゃなかったんです。
よく、「一生一緒だよ!」
なんて“ナウなヤング”は言うかも知んないけど、生まれたときは別々で、たまたま出会って、一緒に暮らし、でも死ぬときは、やっぱり別々。
子どもだって一緒で、母親の胎内に宿って生まれるんですけど、成長してやがて別の人格に成長していきます。
夫婦、親子とはいえ、別々の人格であり、その別々の人格が、一体となって共同に生活をしているというのが、基本的なところなんですよ。
それをわかっていない人が、時として
「オレは死ぬからおまえも死んでくれ」
とか
「子どもを残して逝くのは忍びない」
とか言って、心中事件なんか起こすんです。
家族心中なんか最低でね。
家族を、思いやることができないから、家族殺人になるんです。
つまり、人格的に自立できてないから、家族を巻き添えにできちゃう。
普通だったら、「わたしの分も生きてくれ」ってもんでしょ。
家族っていうのはね。
お互いにひとりの人間として、自立して認め合ってこそなんですよ。
子どもはすぐに自立できないけど、やがて巣立っていく、人間的にひとりの大人として立って行くと思っていないといけません。
例え、親子同じ家に一生暮らすとしても、子どもが成長したときに親は隠居してやんないとね。
子どもを年老いた子どもにしちゃいけませんやね。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)