自分を変えるのは自分しかいない
自分じゃあどうしようもない事ってあるじゃないですか。
例えば、貧乏人の親のところに生まれてくるとか、もって生まれた病気や体質なんかは、どうしょうもないものがありますね。
自分がこんなのなのは、親が悪いからだ」
とかいっている人がいたりしますけど、そんなことをうだうだ言っていても、無駄。どうしょうもないんです。いくら努力しても親は選べませんからね。
芸能の世界だと、ときどき俳優志望の人と話すことがありますが、中にはこんな事を言っている人がいる。
「歌舞伎とか、二世タレントみたいな世襲の人はいいよなあ」
こんな事を、ぬかしてやがるガキは、まずダメですね。
そんなもの少し、演技をさせてみれば、一発でダメだとわかっちゃう。ディレクターやプロデューサーが、なんで歌舞伎や二世を使いたがるのかが、まったくわかっていない。
なぜか?
歌舞伎役者の場合は、幼少期から厳しい訓練を受けているんです。
その差は、18歳くらいから演技をやり始めた人と比べて圧倒的といってもいい。
それは、演技、伝統芸、礼儀作法、喋り方、芸能界での人付き合いの仕方、客あしらいなどなど、何も知らない人が、18歳からはじめるのとでは、雲泥の差があります。
そこには圧倒的は努力の差があるんです。
それだけの努力を知っている人は、「世襲の人はいい」なんて言いません。むしろ、あんなに厳しい家に生まれなくて良かったくらいに思うものです。
他にも二世タレントが、もっとも有利な点は、環境。
優秀なアドバイザーや人脈が生まれたときからいるんですから、それは圧倒的に有利です。
そういった意味でも、芸能人としていい教育環境にあるといえます。
これは芸能人に限らず、農業でも魚屋でも同じでね。
農業とかに関係ない家庭に生まれた人が、農業をはじめようと思ったとき、作物の作り方や、農業の実態、JAとの付き合いとか、税金の問題、農業機械の投資とか、一から勉強しないといけないじゃないですか。
ところが、農家に生まれた人は、農家の苦労や人の付き合い方が、感覚的にわかっているし、知らないことは、親に聞けばいいなんて、最初から、かなりの違いが出てくるのと一緒です。
でもね、二世タレントでも、親の七光りなんかがありますけど、使えない奴は使えません。
本人に意識や努力する気がないと、どんなにいい環境でも、ダメな奴はダメ。
逆にいえば、本人に意識や努力があれば、あまりいい環境じゃなくても、成功する可能性は限りなく高くなるということですね。
「二世はいいな」
なんて言っているタレント志望の人が、どれくらい努力しているかというと、わたしの知る限り、せいぜい養成所とか、専門学校とかで、教わっている程度でね。
その程度じゃあ努力とは言えません。
ただの自己満足程度。
学校に行くだけで、何かが身につくかというと、それは余程の才能がないとダメでね。
その証拠に、ほとんどの人は、中学高校と英語を6年間も勉強しているのに、ほとんど使える人がいないのと一緒。(笑)
意識と努力がないと、身に付かないんです。
意識と努力があれば、それなりにできるようになり、可能性も広がるものだと思いますよ。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)