不安な人間は極端になる

人間というものは、精神的に不安になったり不安的になったとき、物事の考え方に余裕がなくなり“極端”になります。

極端とは

「シロかクロか」

「すべてかゼロか」

「善か悪か」

といった、二者択一論、オール・オア・ナッシング思考法のことをいいます。


いまも、不登校やひきこもりを強制する施設やフリースクールとして


不登校やひきこもりは甘えであり、怠けであるから、部屋から引きずり出して、厳しい体罰を与えれば良くなるのだ」


とか


不登校やひきこもりの子どもの方が、素晴らしいのだ!」


と、極端な指導法をしているところがあると聞きます。しかし、冷静になってそれらの意見や教育方針を聞いていると、どうも偏りがあり、また、それらの施設出身者が、とりわけ成功しているとも思えないのですよ。

そして、それらの施設やフリースクールを創設した人自身を観てみると、どうもそれらの人たちも、不安・不安定な心理状態で育っていたりすることが多いようです。


二者択一論・オール・オア・ナッシング思考法というのは、とても単純な物事の考え方で、ビックリするほど短絡的な思考法です。

そういった思考法に捕らわれてしまう人に、どのような人が多いのかと申しますと


・親の愛情に恵まれなかった生育歴の人

・子どもや思春期の人

・まだ未熟な人格の人

・精神的な病気の人


などに多いと言われています。

そう、精神的に不安な人・不安定な人、未熟な人は、どうも極端な考え方になるようです。

ところが、人間というものは、社会というものは、シロクロがはっきりと分けられるほど、単純ではありません。

安定した・成熟した人なら、シロともクロとも言い切れない世の中を、うまく乗り切ることができるのですが、不安的・不安になってしまった人は、うまくバランスを取る事ができず、ちょっとしたことで、大きなショックを受け、リストカットをしたり、自殺未遂をしたりするのです。

人間や世の中は、そう単純ではなく、移ろいやすいものです。


「生きづらい」と感じている人は、極端になることなく、うまくバランスをとって生きていければ、もっと楽な気持ちで毎日が送れるはずなんですが、なかなか難しいようですね。



FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)