虐待されて育った親や大人
さて、今回は何かと物議をかもし出すテーマかも知れません。(笑)
『不登校・ひきこもり・ニート』に悩む親御さんと会うようになって、ひとつ気がついたことがあります。
『不登校・ひきこもり』には、それそれの事情があり、すべてを一概にしてはいけないのですが、ひとつの傾向として、『不登校・ひきこもり・ニート』の子を持つ、親御さんご自身が、いじめの体験があったり、何らかの虐待を受けて育ってきていたりする場合も少なくないんです。
虐待を受けた人が親になった場合、約30%が我が子にも虐待をしてしまうという報告もあります。
これは、自分の親から、自分はこのように育児・教育をされてきたというのを学習し、同じように子育てをしてしまうからなのかも知れません。
虐待に関しては、多くの本が出版されていますが、そのほとんどは、子どもの虐待を述べたもので、虐待を受けて大人になった人のための本は少ないのです。
わたしが、『不登校・ひきこもり』に関する本を書いたり、映画を撮ったりして、その本を読んだり映画を観たりするのは、当人であるよりも、その親御さんであることが多いんです。
そしてそういった親御さんと話をしていると、その親御さんご自身の親とうなくいっていなかったり、虐待を受けて育ったということを語ってくれる人も少なくありません。
お子さんが、不登校やきこもりに悩んでいるという話しをしていますと、最初は、絶対にと言ってもいいほど、言わないんですが、
「実はわたし自身、我が子を虐待してしまっていました」
と、泣きながら訴える親御さんもいらっしゃるんです。
さらに、そういった親御さんには、すべてとはいいませんが、一種の共通した特徴といいますか、似たような傾向もあるように感じます。
●不安、自信のなさ。自己否定感、マイナス思考がある。
●自分を受け容れられない。
●自分、他人への不信感。
●ある種の攻撃性、衝動性。
●年齢にしては、未成熟、大人になりきれていない言動。
●選択肢の少なさ
●コミュニケーション下手
●言葉使い、間のとり方が下手
●オール・オア・ナッシング(すべてかゼロか)という考え方になりやすい
この項目は、どこかの学者がいっていたことではなく、あくまで巨椋修(おぐらおさむ)個人が、多くの虐待を受けて育った人を話しをして、受けた印象ですので、別に学術的なものではありません。
ただ、わたしが全体的にこういった共通点を感じたというだけの話しです。
もちろん、これに当てはまらない人も多くいたことも記しておきます。
これらは、虐待を受けて育った大人だけではなく、被虐待児にも当てはまることだと思うんです。
つまり、虐待を受けて育った大人は、子どもの頃に受けた傷を完全に癒すことなく成長し、親になっているという場合も少なくないと思うんですよ。
この中に、『コミュニケーション下手』という項目がありますけど、これは他人に対してだけじゃなくて、他の家族、自分の両親や、夫や妻、我が子とのコミュニケーションもあまりうまくないように見受けられます。
そして、これらの人は、我が子が成長した後も、不安の世界に住んでいる場合が多いようなんです。
我が子が、不登校になり、ひきこもりになり、やがて、社会に出ていった後も、ずっとうじうじと悩んでいる場合が少なくありません。
こちらが
「もうお子さんは、立派な社会人になっているのですから、もう安心してもいいんじゃないですか」
と、いっても「でも心配なんです」と、子どもに付きまとう場合もあります。
子どもに聞くと、さすがにそんな親にうんざりしている。
子どもは親から自立しているのに、親は子どもから自立できていないんですね。
人間関係は、人間同士の距離感でもあります。。
例え親子・家族といえど、お互いにいい距離感を保っていかないと、お互いの足を引っ張りあってしまいます。
これら、虐待を受けて育った大人が、心の安定を持つためにには、自分で自分を再教育していくしかないんじゃないでしょうか?
幸い、親は子どもとは違い、ある程度の自由と行動能力がありますから、それは子どもに比べればはるかの行動しやすいはずです。
ただ、それを実行するためには、これまで培ってきたものや、自分の中だけの意地、考え方、これまでこだわってきたものを捨てる覚悟、あるいは、いろいろなものをあきらめる覚悟も必要になってきます。
覚悟をきめて、あきらめるところは、あきらめることができたら、人間は変わることができると思います。
そしてね。
虐待された子どもだけじゃなくって、虐待を受けて育った親や大人のケアも、社会は考えていかないといけないように思います。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)