常識に縛られるな!
世の中には、常識というものがあり、その常識というのは、ほとんどの人が
「そうだ」
と、思っていることであったりするのですが、ときとして常識に縛られすぎていると、新しい発想がでなかったり、思考が硬直化して、柔軟な考え方ができなくなったりします。
『不登校・ひきこもり・ニート』の人の中には、小さな世間、小さな常識に捕らわれてしまい、どうにも動けない人もいるみたいです。
しかし、しばし待たれよ。
常識が正しいとは限らないんです。
400年前のヨーロッパで、
「天が動いているわけじゃない。地球が太陽の周りを周っているんだ」
なんてことを言おうものなら笑われたわけです。
「人間は猿から出来たのだ」
なんて言ったら、死刑にされたかも知れない。
当時の常識では、
「宇宙の中心が地球で、地球の周りを他の惑星が周っている」
というのが常識だったし
「人間は神が創造したもの」
というのも、しかりだったんですね。
つまり、 常識が正しいとは限らない!
え? そんなこと言われなくてもわかってる?
そうでしょうとも。
でも、わたしたちの周りにも、いろいろな常識があります。
それはそれとして、光りのあてかたを変えると、全然違う世界が見えてきて、常識が常識でなくなる。
例えば、わたしたちは、田舎の美しい田園風景や、北海道の牧場とかにいって、思うわけですよ。
「ああ、なんて素晴らしい大自然だ」
いえいえ
田園風景や、牧場なんてのは、自然破壊の爪あと以外の、何物でもないんです!
田園や牧場を”自然”なんて言ったら、先祖代々、その田畑や牧場を開墾し、土壌の改良をしてきた農家や畜産家の皆さんが怒りますよ。
自然、天然、野生というのは、人間の手が入っていないものを言うんです。
田畑や牧場というのは、 山林を切り崩し、つまり自然を破壊し、本来そこに生えていない野菜や牧草を植えた人工物なんです!
そのおかげで我々は、おいしいお米や野菜、お肉を食べられるのであって、それは農家や畜産家の皆さんが、一生懸命自然や天然、野生から、作物や家畜を守り育ててくれたからなんです。
でも見方を変えたら、農業というのは、人類がもっとも古来からやっている自然破壊ともいえるんですね。
事実、いま世界中の海で魚が住めなくなった“死の海”という海域が広がっているのですが、“死の海”の原因は、農地から流れてきた土砂が、海を汚しているからというものです。
このように見方を変えれば、常識は変わります。
動物好きほど、動物を虐待している
という見方だってできる。
動物好きの人は、犬や猫を鎖でつないだり、檻や家に監禁しているじゃないですか。
それどころか、避妊手術をしたり、去勢をしたりして、生物の本質を失わせるようなことをしてる。
大好きだといいながら、動物を売買している人もいる。
これを「人間大好き」って人が、人間に対してやったら、虐待どころか重大犯罪になります。
かくのごとく、モノの見方を変えると、常識が非常識になる。
いささか話しがズレました。
わたしがここで言いたいのは、常識なんてものは、光りのあて方で大きく見方が変わってくるっていうこと。
一般常識を知るっていうことは、わたしたちが安全に生活するために、必要なことなんです。
決して、常識をおろそかにしてはいけない。
しかし、小さな常識に縛られて、動けなくなるなんてことは、残念なことです。
ものの見方、光りのあて方を変えると、まったく別の世界が見えてくるものですよ。
『不登校・ひきこもり・ニート』で苦しむ人の中には、小さな常識に呪縛されてしまい、本来苦しまなくてもいいことに苦しんでいる人も、多いように思えたりします。
常識は大切です。
でも苦しんでいるのなら、ちょっとその常識の縛りをはずしてみると、楽になれるかも知れませんよ。
『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)