自信のつけ方
『不登校・ひきこもり・ニート』の人には、自己評価が極端に低かったり、自信が持てないという人が多くいます。
そういった人に「自信持てよ」って、いってもなかなか自信なんて持てないもので、かえってプレッシャーになったりします。
自信を持つには
“自分のできることを繰り返してやる”
“自分を知る”ことが必要になってきます。
ではどうすれば、自分を知ることができるのかというと
人様の評価と、自分の評価(自信)の合致点を探すというのが、一番の近道となります。
そうやって、取りあえず、いまの自分を素直に確認する。
そして、自己を過度に卑下しない。過度に思い上がらないということですね。
そして本当の自分を受容する。
もしその自分の評価が、自分の思いと全然違うとする。あるいは、凄く低いとする。
それはそれでいいじゃないですか。
とりあえず、受け入れること!
そして、自分にできる範囲を知るべし!
自分のできる範囲をことをまずやるべし!
これが、自信の付け方なんです。
ところが、『不登校・ひきこもり・ニート』の人たちの中には、自分のできる範囲以上のことを要求されたり、しようとする人がいて、それができず“絶望”するということがあります。
『不登校・ひきこもり・ニート』の親御さんや、周囲の人も、ついつい期待から、
「そんなんじゃダメだ!」
「まだまだ!」
と、叱咤激励しちゃうんです。
ところが、この“叱咤激励”は、当人にとって、
『できないことをやれ!!』
と、言われているのと同じに聞こえる。
つまり、その人の人格そのものを 否定 しているように聞こえる。
ですから周囲の人は、ひきこもりや不登校の人に対して、叱咤激励をしない、その人を否定しない
ということが大切になってきます。
「そんなことを言ったら、このままじゃないか」
って言われそうですが、まずはこのままでいいんです。
まず、出来る範囲のことをやるといいますが、これって実は、大変は挑戦なんですよ。
わたしが監督した映画『不登校真実』の中で、精神科医の明橋大二先生は、子どもがひきこもったときに、親がやるべきこととして
●いま以上を期待しない
●おはよう・ありがとうなどの言葉がけをする
●子どもが話しをしてくるとき、例えそれが、子どもの頃の親を批難する言葉であったとしても、「そうかそうか」と聞いてやる」
ということを、おっしゃっています。
親御さんにとっては、『?』なことばかりかも知れません。
当たり前すぎて物足りないかもしれません。
しかし、その『物足りない』、『当たり前すぎる』ことさえ、まともにできていないことが多いんです。
周囲の人、親や教師は、子どもを叱咤激励しない、否定しない、それができたら『ありがとう、』などとと声を掛けます。家事手伝いなら『ありがとう、助かったよ』と、感謝の気持ちを表します。
もちろん、家庭内暴力等は例外で、キッパリと「NO!」と言わないといけません。
人間は、他人の評価で、自分の評価を判断します。
同じように、他人の評価で自分の自信を確認します。
大きすぎる評価も、小さすぎる評価も、自信を持てない原因になります。
本人としては、自分の出来る範囲を、当たり前のようにする。繰り返す。
これが自信につながってくるんです。
人が当たり前にできることが、いまの自分にできないのであれば、それは、"できる範囲"ではなく、"できないこと"なのですから、とりあえず、それは外す。
そして、できる範囲のことを繰り返す。
周囲はそれを理解して、否定しない。ほめる。
自分に少しずつ自信ができてくる。
そうすると、しらない間に、できる範囲が広がってくるようになります。
また自信がついたら、ときどき、できる範囲内での挑戦をしてみる。
出来る範囲での挑戦とはいえ、これには、大変な勇気がいります。
つまり失敗しても当たり前くらいに思っていていいんです。
人はそうやって自信をつけて行くんです。
『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)