理想幻想に縛られるなかれ!


ときどきマスコミで「理想の家族」や「理想の夫婦」が取り上げられたりします。

しかしその人たちが数年後に、家族崩壊や離婚なんてことになるものめずらしくありません。

理想の○○って、うまくいっているときは、本とか出版されて賛美賞賛の的になったり、お手本にしようとするんですけど、すべからくケース・バイ・ケース。

「○○であらねばならない」みたいな固定概念では、うまくいかないどころか、かえって事をややこしくしてしまう場合もありますね。


理想は、現実の延長線上にあるもので、現実を無視しての理想論は、しょせん机上の空論でしかないといえます。

ひとつの家族、1組の夫婦、1人の個人というのは、すべて歴史も背景も違ったもので、当然、その現実も理想も違ったものであるはずなんです。

あるはずなんですが、不登校やひきこもりの人や、親御さんに会うと、良く言えば「まじめ」、悪く言えば「応用が利かない」、「融通が利かない」って人が結構いたりします。


受験に例えるなら、「○○高校以外は、高校じゃない」、「○○大学以外は、大学じゃない」みたいなね。

「○○であるべき」、「○○でなければならない」というのは、 理想の固定化  なんですよ。

理想を固定化してしまうと、理想に縛られます。

理想に縛られると、人生の動脈硬化が起こってくる。

理想は現実とは違いますから、常に応用を利かせないと、そのギャップに苦しむことになります。

理想論に縛られるよりも、もっと柔軟な姿勢で現実に対応したほうが、理想に近づくことができるんじゃないでしょうか。

理想というのは、目標でもありながら、一種の幻想でもあるわけですから、ゆめゆめ理想に縛られるなかれ、ですね。



『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)