本人の気持ちが大切です。

不登校・ひきこもり・ニート』の周囲には、「なんとか力になりたい」と、思っている人がいっぱいいます。


子どもや若者に、力を貸してあげたいと思う人。


困っている親を助けたいと思う人。


実際、その人たちの助力というのは大変なもので、公的機関よりも、そういった人たちのおかげで、助かっている人もたくさんいます。


ただ、いくらそういった人が、力を貸そうとしても、当人がその気にならない限り、問題の解決は不可能です。

これは、「タバコをやめる」という行為に例えることができます。


周囲が、いくら「タバコは健康に良くないから」とやめさせようとしても、本人がやめる気がないと、なかなか止められるもんじゃない。

タバコという習慣が、身についてしまうと、本人がやめたいと思っていてもやめられない。


やめるという行為には、努力と苦痛が強いられる。

その苦痛や努力は周囲に人には、なかなかわからない。


そしてつい、挫折をする。


そしてタバコを一服……


その一服は、実にうまいんですよ。

我慢していただけに、うまさは数倍になります。


そして、「ああ今回もダメだったな……」という敗北感。


わたしは、何十回も禁煙をしていますから、その気持ちはわかります。(笑)



これが、『不登校・ひきこもり・ニート』になると、何かアクションを起そうとする。


そして挫折する。




挫折をすると、なぜかほっとするといいますか、安心感があるんです。


同時に、「オレはやっぱりダメなんだ……」という敗北感も同時に起こる。




そして、それを繰り返す……





この複雑な気持ちは、周囲の“応援団”には、なかなかわからない。

“応援団”ががんばっていればいるほど、挫折した本人は申しわけなさ苦しみ、自分を責めることになります。

ここが風邪ひきさんや、ケガをした人を助ける場合との大きな違いで、助ける人が“応援団”になってしまうと、本人の重荷になってしまうこともありますね。



よほどの事がない限り、力を貸す人は“応援団”、つまり強引に支援するのではなく、ちょっとした介添人のほうがいい。

不登校・ひきこもり・ニート』の問題は、最終的に本人と家族がどう思うかなんです。

もっといえば、本人がどう思うかどうかなんです。

本人が、その気になったとき、挫折しそうになったとき、いかにささえるか。

挫折したとき、いかにその傷を浅くするかというところだと思うんですよ。

逆にいえば、本人がその気になれば、解決の糸口があるということですね。

本人の気持ちが、一番大切なんだと思います。



『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)