快楽を求めて生きよ

「動物同様、人間も、その主要ににして根本的原動力は、利己主義、すなわち生存と快適への衝動である」


ショーペンハウエル(ドイツの哲学者。1788〜1860)―



人間に限らず動物というのは、快適、快楽、気持ちいいを求めて生存しているといっていい。


もちろん、この意見に対して、「?」や「NO」という意見があるのは知っています。


しかし現状において、わたしの知る限りこれ以上の答えはない。


強いていうならば、生存の理由として“繁殖”が挙げられるくらいですね。


では、繁殖しない・できない・する気のない固体はなぜ生きているのか?


やっぱり、快適、快楽、気持ちいいを求めて生存しているんですね。


その気持ちいいは、食事であったり、睡眠であったり、性であったり、愛情や友情であったりします。


では、快適、快楽、気持ちいいを求めなくなる、感じなくなるとどうなるか?


いわゆるうつ病という病気になる。



ここで、誤解と誹謗中傷を承知の上で言おう!





人よ、快楽を求めて生きよ! 








古代ギリシャエピクロス派という学派があった。

エピキュリアンというのを、日本語でいうと、快楽主義者となる。

つまり、エピクロス派というのは、快楽主義派ということになります。


即物的に考えるとこの学派は、酒池肉林を楽しんでいる人たちと思いがちでしょ?


ところがどっこい大間違い。


例えば、美味しいお酒をたくさん飲んだり、美味しい食事をたくさん食べたりするのは、確かに快楽ではある。


しかし、そのために二日酔いになったり、便秘下痢になったり、嘔吐したりで自分や他人に不快感を与えることになる。


よって、エピクロス派では粗食にして、つつましやか、極めて禁欲的な生活が、真の快楽であると解釈されるわけです。



もう健康(快適な体)を求めて、すごく不健康な健康法をやってみたりもする。
(減量とか、過度な肉体鍛錬とか)


快楽を求めて、すごく不健康なことをやったりもする。
(過度な減量とか、過度な肉体鍛錬とか、大酒を飲んだりとか)


人間なんて、そんな理不尽で裏腹で矛盾するところがありますね。(笑)


しかし事実として、人は快楽を求めて日々を送っている。


人は気持ちいい毎日を送りたくて、日々を過ごしている。


人間の行動原理というのは、すべてここにあると考えてもいい。


学校に行くのは、将来より快適に過ごすためであったり、社会人がつらいつらいと連呼しながらも働いているのも、快適な日々を送るためといってもいい。


ここにも、理不尽、裏腹、矛盾なことがあるんですけどね。


不登校・ひきこもり・ニート』に関しても、同じ事がいえるんです。


自殺や、病気になるくらいつらいのなら、無理をして学校や会社にいく必要はないし、自分の仕事を限定することもない。


もっと、いろいろな生き方、考え方があるはずなんですよ。


いま一度、誤解を承知の上で言いましょう。












人よ、快楽を求めて生きよ!










と……







『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)