なぜ・どう・いかに勉強するかが問題だ

この前ダンガンさんより

もし中学生だった頃の自分に忠告できるなら「進路を甘く考えるな!」でしょう


というコメントをいただきました。


対するぼくのコメントは

もし自分が中学生だった頃の自分に忠告できるなら……
「勉強しろ!勉強しろ!勉強しろ!」と、いうかもしれませんね。
特に「国語と数学と英語の基本をバッチリ身に付けとけ! これは社会に出てから実戦ですごく役に立つぞ! むしろこれらの基本ができていないと、非常に苦労するぞ!」

と、いうでしょうね。


というものでした。

よく学校の勉強は役に立たないといいますが、それは大嘘です。

学校の勉強、特に義務教育までの勉強は、社会常識として最低は身に付けておきたい知識ですので

「学校の勉強ができない=社会常識に難がある」

といってもいいかも知れません。

しかし、学校は勉強を教えてくれる場所ですが、「なぜ勉強をしなければならないのか」とかはなかなか教えてくれません。

時には「どうやって勉強すればいいのか」も教えてくれるとは限りません。



「なぜ勉強しなければならないのか」が、わからないと勉強をする気になれず、いったん落ちこぼれてしまうと、授業を受けてもついていけず「授業中どうやって勉強すればいいのか」もわからなくなってしまいます。


ここらへんの難しさは学校の先生方がいるも苦慮していることだと思います。

(実は、学校の先生からそういった話しを聞きたいと思ってます。どなたか教員の方でお話しを聞かせていただける方はいらっしゃらないでしょうか?)

現実に、義務教育程度のものができていないとどうなるかというと、大人になってからとてもらいものがあります。

日本の義務教育というのは、学校に行っても行かなくても進級卒業させてくれますので、ほとんど学校に行かず勉強をしなくても卒業できます。

高校や大学、専門学校でも、授業料さえ納めていれば、無試験で卒業できるところもあります。


その結果、どういうことが生まれるかというと


無能力者の増産!


という事態になってしまうということです。


ここでいう無能力者とは何かというと、大人になっても生産的活動ができない人ということです。


ニートやひきこもりの人も、そのまま変化なく時間を過ごしていけば、無能力者と言われても仕方がないというのが現実でありましょう。


せっかく生まれてきたからには、どうせなら生産的活動をばんばん行い、人から認められ、自分でも満足できるような人生ってヤツを、多くの人は送りたいのではないかと思います。


しかし、人生は思った通りには行かないのが世の常、人の常。


少しでも思ったこと、つまり“目的”に近づく“手段”として、学校の勉強があります。

よく、「不登校も選択肢のひとつ」とか「ひきこもりも選択肢」のひとつとかいう人がいます。

それは間違いではないのですが、決して良い選択肢ではありません。


勉強は学校だけではありません。

社会勉強も、個人勉強もとても大切なものです。

不登校・ひきこもり・ニート』の諸君は、いま現在、かぎりなく無能力者に近い人も多く存在すると思います。

その状態から脱したいなら、まず勉強。

そして部屋が出て、行動して社会勉強をすることをお勧めします。



FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)