親は子どもに感謝し、子どもは親を許す

不登校やひきこもりの講演会などに行くと、ときどき「スーパー元不登校生」とか、「エリート元ひきこもり」というような人が出てきて、熱弁をふるっていることがあります。


どういう人かというと、「不登校やひきこもりだったけど、やがて有名大学に行ったり、社会的に成功した人」のことなんですけどね。


そういう人が、ステージの上から


「わたしだって出来たんだから、みなさんも出来ますよ!」


なんて言ってる。


聴衆のお母さんとか、うんうん言ってうなづいてる。






出来ねーよ!






そういった人は、元々そういう才能と環境、幸運、努力があったから出来たわけで、フツー出来ねえんですよ。


出来ねえから悩んでるんです。(笑)



ときどき「不登校やひきこもりの方が素晴らしい」なんて言ってる人がいます。



素晴らしいんだったら、みんな苦しんだり悩んだりしないんです。(笑)


反作用として、そうでも言わないと気がすまないというのはわかりますけどね。


逆に、不登校だろうがひきこもりだろうが、まったく悩まずに生きている人もいます。


そういった人は、そんな講演会に行ったりしないし、このブログも読まない。(笑)

前回書いたように




不登校になった人の多数が、ひきこもりやニートになる】




と、いう場合がとても多いんです。



でもみんながみんなそうなって終わるわけじゃない。

ほとんどの人は、一時期、ひきこもりからニートになり、やがてアルバイトをしたりして、落ち着いてくる。



ある意味、あきらめるのかも知れません。


自分なりに、落しどころを見つけると言ってもいい。


有名大学を目指して、5浪6浪して、やがてあきらめて他の道を歩み出すというのと似ているかも知れない。


不登校やひきこもりは、子どもの問題よりも、親が問題である場合も多いんです。



親が過剰に焦る。


親があきらめきれない。


親が不安になり、悩む。



その親を前にして、子どもは苦しみ悩む。



やがて、親も落としどころを見つけて、子どもは子どもの人生と思えるようになってくる。


悩み苦しんだことにより、親は成長をする。


成長をしたことで、親は子どもに感謝をする。


子どもは……


最初、親の希望に添いたいと思っているものです。


そうできない自分に悩み苦しみます。


自分を苦しめた親を憎みます。


しかし親がいなければ生きていけない自分を見て、自分に幻滅する。


やがて、子どもは子どもなりに、自分の人生を歩まなければならないことを知り、自分なりの人生を歩むようになります。




そして、子どもは親を許すんです。



「親が子どもに感謝し、子どもは親を許す」



両者がここまで来ると、「不登校やひきこもりになったおかげで、自分は成長できた」となってきます。



ここまできて、自分の人生を認めることができるようになってくる。




親が子どもに感謝できないうちは、まだ親は子どもから自立していないということです。


同様に、子どもが親を許せないうちは、親から自立できていないということでもあります。


親にしても、子どもにしても、決して自分の思い通りになりませんから、どこかで、感謝して距離をとるか、許して距離をとるかしたほうがいいと思うんですね。




不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)