集団のために個があるんじゃないんだぜ

日本人って、ものすごく「ムラ意識」が強いんですよ。

ムラってのは村ね、共同体意識と言ってもいい。

いわゆる横一列、護送船団方式、みんな一緒ってヤツね。

ムラ、共同体のためなら、個人や個性なんて無視っていう考え方ね。



会社のため、国家のために個を殺す考え方。


この考え方は、労働組合市民運動のなかにもあって、中身を覗いてみると、ものすごく田舎くさい、洗練されてない。


これに対して、「個のために集団がある」という考え方があります。洗練された都会的な考え方とも言える。


文化が成熟してくれば、こういった考え方になるそうな。



集団のために個があるという考えを、学校に例えてみれば


「学校や学級のために生徒がいる」


ことになりますね。



こういったムラ意識の呪縛から解かれていないと不登校になった子どもは苦しみ、親も無理やりに学校に戻そうとして苦しんだりします。



不登校・ひきこもり・ニート』の当事者もね、ムラ意識が強い人ほど苦しみますね。


ムラ意識に呪縛されて、へんにガンコになっちゃって、「不登校やひきこもりはクズだ!」なんて、歯ぎしりしながら叫んで、自分を卑下したりする。



そういう人は、大人になってもずっと苦しみ続ける傾向にあるように感じます。
(どこかで考え方をチェンジできればいいのになあ……)




いまの時代、若い人ほど、「個のために集団がある」と考えていたりしていますね。


だから、会社や社会に対する帰属意識があまりない。


組合なんかも、入りたがらない。



一方、逆に『不登校・ひきこもり・ニート』の支援団体にも、ムラ意識が強い人がいて、『若い根っこの会』みたいなのを作ろうとする人がいたりします。



新しいムラを作ろうとしたりね。


ちょっとズレてる。(笑)



確かに人間は群れで生きる動物だから、所属の欲求、集団への欲求が基本にあるんです。


でもそれは、集団のためのものじゃない。


個を生かすために集団があると考えた方がいいじゃないかって、ぼく個人は思います。


まあ、それぞれあっていいと思うし一長一短もあると思いますけどね。



「会社のために社員がいる」


っていう考えもあって、実はそれも一理あるんですけど、会社で働くのは、自分の幸せのためで、一生懸命働いて、周囲の人が喜んでくれたり、お客さんが喜んでくれて、それを見て、自分もたのしい。おまけに給料ももらえてうれしいっていうのが、一番だと思うんですけどね。


なかば自分の幸せ、なかば他人の幸せ。


両方バランスがとれて、本当の幸せだと思います。




不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)