いじめ自殺と報道


自殺と報道について書こうと思います。


『いじめ自殺』は連鎖します。


“いじめを受けて自殺をした子どもがいる”


“全国的に報道される”


“それを知った同じように苦しい思いをしている子どもは、いじめられたら場合、自殺という対処法を学習する”


“自殺という自己主張をすることを知る”


と言うことになるのかも知れません。


いじめ自殺予防のためには、ひとつの方法として『いじめ自殺』を報道しないという方法もあります。


実際のところ、一般の自殺はよほどのことでない限り報道されません。


これは、マスコミの倫理や自主規制によるものではなく、単純にあまりにも自殺が多く、事件性がないので報道しないだけのことです。


“ただの自殺”では、新聞も週刊誌も売れませんし、テレビの視聴率も上がりません。


ところが『いじめ自殺』なら、世間の注目を集めることができます。


学校という巨大組織を叩くことで“正義”を振りかざすこともできます。


これは、大企業の従業員が過労から自殺した場合、マスコミは大企業を叩くという行為で“正義”を振りかざし、そのことから“正義”を主張することができます。


弱小企業や自営業者の場合、マスコミは動きません。


しかしながら、『いじめ自殺』を報道しないという方法を使うとすれば、これまで学校などがよくやってきた『隠蔽(いんぺい)』になりかねません。


最近では、いじめ自殺が報道されることによって、学校の隠蔽体質を改善しよう、もっと真剣にいじめ問題に取り組もうという動きが出てきました。


逆に言えば、報道がなければ、隠蔽は続いたままで、ずっと『いじめ自殺』は、なかったことになる可能性もありました。


実際、文部科学省によると、2000年代にいじめ自殺が0件であったという時代が7年間続いたことがあります。


ところが現実にはそんなことはなく、いまでは修正されているはずです。


また、大人の自殺に関しても、子ども時代に受けたいじめから、心に傷を付けてしまったということもあるでしょう。


これらの自殺を防ぎたいと思うのであれば、学校だけでの対応ではなく、家庭での対応も重要になるでしょう。


ちなみに学校での対応は文部科学省の対応の仕方 がHPに掲載されています。


また 家庭や社会の取り組み についても書かれています。


もちろん、文部科学省の言う通りには出来ないかも知れませんが、参考にする価値は十分にあります。



さて、今回のテーマである『いじめ自殺と報道』についてです。


報道は、自らの“正義”を主張するために、必ず敵を作ってその敵を攻撃します。


最近の例ですと、「学校が悪い」「先生が悪い」というふうに表現します。


それが一番楽だからです。


基本的に学校はマスコミや社会に対して、打ち返してこないからです。


しかしこの調子でやっていると、今度は『教師の自殺』が増えることになるかも知れません。


実は、「職員室における教員同士のいじめ」


「生徒による教員へのいじめ」


「親による教員へのいじめ」


「親同士のいじめ」


も少なくありません。


『いじめ自殺問題』には、こういった問題も含まれています。



FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)