見守るとは何か?
『不登校・ひきこもり・ニート』の親御さんが、支援者等によく言われるアドバイス。
「だまって見守ってください」
「暖かく見守ってください」
しかし、親としてこれはつらい。
そもそも「見守る」とは何か?
こんな例え話はどうでしょう。
ある人が、家族に「お風呂のお湯を見てきて」といったとする。
すると家族の誰かがが、お風呂のお湯を見る。
それだけだとしたら?
お風呂がお湯がぐらぐらと煮立っていても、全然沸いていなくても「だまって見守っている」だけだとしたら?
それではまったく意味が無いのです。
それどころか、ガス漏れとか大事故にさえなるかもしれない。
そういうときは、なんらかの【介入】が必要となります。
これが『不登校・ひきこもり・ニート』だとすれば、【介入】とは支援とか援助ということになります。
90年代に、不登校問題が大きくなったとき、「不登校児童に対する登校刺激はしてはいけない」という指針が文部省から出されたことがあります。
結果、さらに不登校児童生徒が激増しました。
そこで「適切な登校への指導をするように」と指針が変わった。
そうすると、増加は止まったということがあります。
「不登校児童に対する登校刺激はしてはいけない」という極端な指針は、かつて不登校児童生徒に対して、かなり強引に登校させようとして、かえって心を傷つけてしまう児童生徒が多くいたということに対する反作用なのですが、極端というのは、きわめてあやうい。
また、不登校やひきこもりの人も親も、オール・オア・ナッシング思考、つまり「全て(オール)か、ゼロか(ナッシング)かという、極端か極端かという思考でないと、どうしていいのかわからないという状況や状態になってしまいがちなところもある。
ただ「見守っているだけ」で育った人が、その後、生活ができればいいのですが、現実として、そのままひきこもりになり、30代になっている人も少なくありません。
いま、もっともひきこもりで多いといわれているのが、30代後半以上で、ひきこもりの期間が7年以上という人が2割以上もいるのです。
3年以上ひきこもっているという人だと、ひきこもり全体の過半数を占めるといいます。
「見守る」とは「見捨てる」ことではありません。
しばらくはだまって見守っているとしても、長期化しそうなら適切な支援なり援助が必要となるでしょう。
極端な支援・援助・介入は「強制」や「暴力」になりがちですので、そこはよく注意をしたいところですね。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)