甘えとは何か?
よく」不登校やひきこもり、ニートは甘えである」という人がいます。
ぼくはそれに対して短絡的に「不登校・ひきこもり・ニートは甘えではない」などと断言する気などないのです。
そもそも【甘え】とは何でしょうか?
ぼくなりの意見をいいましょう。
「甘える」とは【愛情を求めること】
でありましょう。
「甘えを許す」とは【愛情を与えること】
でありましょう。
違う?
でもよくよく考えてみて?
【甘え・甘えられる関係】というのは、お互いに信頼しあっていて、愛情を与えられ・与える関係のことをいうのです。
では【甘やかす】とは何か?
「甘やかす」とは【我慢を教えない】こと
をいうのです。
【甘ったれる】とは、相手の迷惑をかえりみない好意や心情のことをいいます。
つまり甘えのない世界というのは、愛情のない無機質の世界ということでもあります。
よって、ぼくは【甘え】というものを肯定します。
しかし、あまり【甘ったれる】ことをされると、迷惑だったりします。
そうするとやはり「いい加減にしろよ」となります。
結局、どちらにかたよっても生きづらくなってしまうということになりますね。
何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
ただ、『不登校・ひきこもり・ニート』の人や親は、その境界線がよくわからなくなってしまっている人も多いようにも思えます。
だから極論になってしまうのですね。
ぼくはそう思います。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)