教育とは何か?

「教育とは何か」と問われれば、まあ実に多様な答えがありますから「教え・育てること」くらいが無難なんでしょう。(笑)


“何のために”教え・育てるのかと言えば、それは様々な答えがでてきます。


「少年を一人前の大人にすること」

「自分の収入で食べていけるようにすること」

「国や地域、社会の一員として貢献し、迷惑をかけずに生きていくため」

中には、「教育機関の卒業証書や資格を手に入れるため」という場合もあるでしょう。


公教育、特に文部科学省としては、国家や地域に貢献する人材の育成というものが、教育の目的といえます。


おもしろいことに、戦後の教育において「国家や地域に貢献するための人材育成」という言葉が、なかばタブーとされていた時代もあります。

しかし実際のところ、もし公教育が「国家のための教育」「国益のための教育」を、否定したとすると、これまで使われてきた膨大な、文部省・文部科学省に使われてきた税金は、驚異的無駄づかいというしかありません。


国益のための教育が悪いのであれば、国家や行政から助成金をもらっている学校法人は、すべて助成金をお断りし、一般の塾や予備校と競争すればいいのです。


もっとも、識字率(いわゆる読み書き)は、世界でもトップクラスにあり、犯罪率も低く、それは公教育の成果といえるでしょう。


ただし日本人というのは、どうも教育熱心な民族であったらしく、商家に住み込みで働く丁稚(でっち)といわれる子どもの奉公人がいましたが、お店の主人は、わざわざ金を出して、丁稚を寺子屋などの学問所に通わせていました。

地方の農家などでも、親は子どもを寺子屋や手習い所のような学問所に通わせて、読み書きそろばんを学習させており、公教育がほとんどなかった江戸時代でも識字率は、70%ほどあったとうい説があるくらいで、おそらく当時では、ヨーロッパや中国などに比べて、はるかに高いものでした。


江戸時代の場合、幕府や藩が武士や領民の教育にお金を出すということはほとんどありませんでした。

あっても先ほど書いたように、ほんの一部程度で、もうほとんどないといってもいいくらいです。


あとは全部、民間がやってたんです。


学校法人制度や助成金制度なんてものが、なかったにも関らず、親や保護者は、こぞって学問の稽古場だの塾だのに行かせ、子どもの能力を高めることに一生懸命でした。


なぜ、江戸時代の人は、公教育や義務教育がないのに、そんなに教育熱心であったかといいますと、単純に、


● 教育があったほうが、後々有利な人生を送れるから
● 商家や農家なども、お店がお金を出しても教育を受けさせた方が、お店や農家にとっても有利になるから
● 知的好奇心が旺盛であったから


などがあるでしょう。

江戸時代になると、商売や経営に関する本や、農業技術についての本も多く出版されていましたし、農民とはいえ、計算やそろばんができないと、より多くの収入を期待することは難しいのです。


日本という国のおもしろいところは、百姓町人といった庶民の学力が高く、江戸文化の多くが、庶民によって作られたというところにあります。


絵画や音楽、俳句に料理、武道ですら、庶民が発達させたのが、江戸時代、日本文化の特徴といえます。


どうやら教育について語り出すと、本を数冊書けそうな気がいたします。

このブログでも、ときどき教育について語ろうと思っております。

そうですね。

次は、「教育は誰のためにあるか?」というのをテーマに語ろうかと思います。





不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)