ストレスと四苦八苦


仏教の言葉に【四苦八苦】というのがあります。

【四苦】とは、『生・老・病・死』(しょう・ろう・びょう・し)のことで


● 生きる苦しみ
● 老いる苦しみ
● 病気の苦しみ
● 死の苦しみ


という4つの苦しみを、人間は生きている限り宿命付けられているというのです。


生きている限り、どんなに若いままでいたいと願っても、年齢と共に老いますし

生きている限り、健康でいたいと願っても病気になります。

死にたくないと思っても、人はいつか死ぬものです。


また【八苦】というのは

愛別離苦(あいべつりく)「愛している人と別れる苦しみ」
● 怨憎会苦(おんぞうえく)「憎く怨みを持ってしまうような人と会ってしまう苦しみ」
● 求不得苦(ぐふとくく)「求めても手に入らない苦しみ」
五陰盛苦(ごおんじょうく)「肉体や精神的な苦しみ」

をいいます。

(前半の四苦に後半をプラスして八苦になるそうですが……、【四苦四苦】でいいような気もするのですが、でも「シクシク」ではやっぱりダメでしょうか?(笑))


さてさて、これはつまり人間というのは、生きているだけで、苦しいことが当たり前にあるということですね。


じゃあ我慢しろっていわれても、やっぱりイヤですから、なんとか苦しみからは逃れたい。


じゃあ、どうすればいいかというと、仏教用語ではなく、現代用語でいうと、ストレスが少ない生活ということになります。


ストレスというのは、辞書によると


「精神緊張・心労・苦痛・寒冷・感染などごく普通にみられる刺激(ストレッサー)が原因で引き起こされる生体機能の変化。一般には、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況をいう」
三省堂提供「大辞林 第二版」


つまりストレスとは、仏教でいうところの【四苦八苦】と、とても近い考え方であるように思えるのですよ。


で……


ストレスや【四苦八苦】から逃れる術はあるのか?


あります。


答えは、「気にしない」こと。


老いることを気にしない。
老いることを気にしない。
病気を気にしない。
死を気にしない。
別れを気にしない。
怨みや憎しみを持たない気にしない。
欲しいものが手に入らなくても気にしない。
肉体や精神の苦しみや痛みを気にしない。







これ即ち、ノン・ストレス生活!!







で、






そんな生活をしていて


本当に生きていると言えるのか!!


っていうか、ちょっとは気にしろよ!(笑)





はい、まったく気にしないというのは、それこそ“悟り”でも開かない限り無理だと思うんです。

また、ほとんどの人は、そんな【四苦八苦】がまったくない、ストレスがまったくない生活なんて、イヤだと思うんですよ。


それを例えるなら、栄養的やカロリー的にはまったく過不足ないけれど、味も刺激もない食べ物だけで一生暮らせと言われているようなものだと思うのです。


人生というのは、ときに苦しく、ときに楽しく、ときに刺激があり、いくつになっても迷い、悩み、雨が降ってはドキドキ、風が吹いてはビクビクしながら、お調子にのっているときは天下無敵気分になったりするものだと思うんですよ。


問題は、自分の感性が、苦しいことばかりに偏っていたり、実際に苦しいことばかりに偏っていたりすることだと思うんですよ。


楽しいことだけに偏るっていうもの、たぶん、すぐに飽きてイヤになると思いますしね。


ストレスなんてあって当たり前、四苦八苦も当たり前。


悲しいこともありますさ。

苦しいこともありますさ。

怒ったり、腹が立つこともありましょうさ。

でも、うれしいこともあったりするのも、また人生。


四苦八苦やストレスや、喜怒哀楽と、うまく付き合っていければいいんでしょうね。


ま、人生なんて適当でいいんじゃないでしょうか。






不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)