性と人格2
前回の続きです。
さて、ここで問題です。
問い;結婚と売春の違いを述べよ
法的、世間的、社会的な差は歴然としたものがありますね。
ただひとつ共通点がある。
それは「性」、「性行為」というものが介在するということです。
俗に「夫婦生活」というと、夫婦間の性生活を言うくらいです。
同時に結婚式の時には、金銭もしくは物品の授受も行われます。
結婚においては、それは「結納」というカタチで公然と行われているのです。
これは洋の東西、アフリカの民族だろうと、アマゾン奥地の民族であろうと、ツングースに住む民族であろうとも、行われている行為なのです。
つまり、ヨーロッパ社会であろうとも、日本であろうとも、インドや中国、アメリカであろうとも、結婚をするためには、「金銭・物品の授受」が行われています。
別の見方をすれば、結婚生活が「愛の生活」であると仮定すると、「愛の生活を営むためには、結納金というお金が必要である」ということになる。
売春もまた似たように、ひと時を金銭・物品の授受で体を預けます。
性行為というのは、お互いに全裸になり、普段は人前に決して晒さない部分をさらし、接触させあう行為でもありますが、この行為は、極めてプライベート(私的)な行為であり、パブリック(公的)な行為ではありません。
性行為は、普段隠しているものが晒され、次に心や人格に深く影響する行為でもあります。
少年期に性的虐待をされた人が、後々に苦しみ
レイプされた人が一生、人間不信になったり、
自分は穢れた存在であると思ってしまうほどの影響力があり、
一度でも自分の性器や性行動を異性に笑い者になれたがために自信を失い、
性行為がこわくなって一生できなくなってしまうのも、性なのです。
かくも性は人格に深く影響する。
そして性なくして新しい生命は誕生できない。
性とは、聖であり生であり、また俗なものでもあるのです。
さて、前述の問い;「結婚と売春の違いを述べよ」
ですが、実は古代からの命題であり、その答えは様々です。
売春婦もまた、ときに聖女と言われ、ときに売女と罵られ、ときに巫女になります。
『不登校・ひきこもり・ニート』の中には、性を誇大に妄想したり、あるいは極端に卑下したりするひとも少なくありません。
変に偏るのではなく、上手い具合に性と付き合ってほしいと思いますね。