性と人格1
「人間は、本能的なものほど隠したがる」
―by巨椋修(おぐらおさむ)―
さてさて今回は、“性”について書こうと思います。
実はあるある多いにあるのですよ。
性は生きとし生けるもの全員に深く関係してる。
人間は本能的なもの、生きるために必要なものを隠したがる習性があります。
例;食事
人は食べないと生きていけない。それは誰でもご理解いただけると思いますが、その“食べ方”というので、人間は人間を評価するのです。
つまり食事のマナーがない文化・民族は皆無といってよろしい。
よって、ほんとうはガツガツと食べたいのに、つつましやかに食べるのです。つつましやかではなく、本能的にガツガツ食べられるのは、気を許した人の前くらいですね。
もうひとつ、食は人格と深い関係があります。
人間関係・愛情等の関係で拒食・過食・偏食・味覚と深い影響があるのです。
例;排泄
食べれば、出るものがあるのは当然。
でもこれも、隠れてやりますな。
例;睡眠
寝姿を見られるというのも、安心できる相手じゃないといやな人が多いもんです。スキだらけですからね。
かのごとく、人は本能的な行為を隠したがる傾向にあります。
このような事柄は、その人の“人格”とおおいに関係があります。
睡眠は比較的人格との関係は薄いものの、食事や排泄は、その人の人格・品位との関係は深いですね。
そういった中でも、格段に人格・心との関係が深いのが“性”と言えます。
「SEXなんてスポーツと同じだよ」
と、本気で言える人は一種の異常人でしょう。
自分のお父さんお母さんと、あるいは我が子とも「スポーツ」であれば、「さわやかな」汗が流せるがごとくSEXができるのでしょうから。
性というのは、「秘め事」なのですよ。
「恥ずかしい事」だけど、やらずにはいられない。
それこそ「本能」
「本能」なら、食事も排泄も睡眠も同じなのです。
食事にはマナーがある。
排泄は個室でやる。
睡眠もプライベートである。
SEXもまたしかり。
これらは本能であり、また同時に快感がともなうものです。
特にSEXには、パートナーが必要です。
もちろん、ひとりで性行為をやることはあります。
それをオナニーとかマスターベーションとか自慰などといいます。
「オナニーなど、男も女も、結婚していてもやる。50歳になっても60歳になってもやるものだ」
と、いうのが本当です。
それも、人前では普通やらない。(笑)
またやっていたとしても、ほぼ絶対言わない。(笑)
なぜか?
恥ずかしいからであり、本人の人格に関係のあることだからです。
60歳のじいさんやばあさんがオナニーをしていることがバレたら、「お盛んね」と言われるくらいならいいのですが
「エロジ爺い」「エロ婆あ」といわれるかも知れない。
だから隠れてやる。(笑)
じじばばなら、まだいいのです。
子ども時代に性的イタズラをされた場合、一生を左右されるくらいの心の傷を負うことも少なくない。
よって、性行為は単なるスポーツではあり得ない。
パートナーとの性行為は、究極の人間関係であるとも言えましょう。
『不登校・ひきこもり・ニート』に悩む人の中には、「ことさら」性を否定したり、肯定したり、攻撃的になったりする人が多い場合があります。
どのような人であれ、多くの人は特殊な感情を「性」について持っています。
それを青少年に教える場合はどうするか?
できれば、親や学校の先生が、ちゃんと性教育をするのがいいのでしょうね。
諸外国の例ですと、低年齢のときから、ちゃんと性について教えている国の方が、性犯罪や10代に妊娠が少ないといわれています。
あるいは、同性の先輩とかおじさんおばさんとか、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんが、こっそり教える程度のものとかも、間違った知識を与えるのでなければ、それも自然でいいのかも知れませんね。
性教育をするなではありません。
またタブーにするなでもありません。
過剰に容認でもありません。
性というのは、人間の根幹、人格に大きく影響するものですから、過度の容認も禁忌も、人を歪める原因になります。
ほどほどに厳格。
ほどほどにフリー。
ほどほどに隠匿。
これくらいがよろしい。
ここまでが前ふり。(笑)
次回も性について書こうと思います。