すべての社会風習は洗脳である


「すべての教育は洗脳である」
「すべての社会風習もまた、洗脳とマインドコントロールの結果である」

by巨椋修(おぐらおさむ)




「そんなことはない!」と、憤っている人も多いんでしょうね。(笑)

ところがどっこい、教育も社会風習・風俗も洗脳とマインドコントロールの結果なのです。

※洗脳は、直訳するとbrainwashing【脳の洗濯】ですから、何もない子どもなどの脳に【知識や思想を刷り込む】というのと、ちょっと違うかも知れませんね。ここでは「新しい知識・習慣・考え方」を教え込むことを「洗脳」とお考えください。



日本人の多くが「無神論者」だといいながら、なんとなくどこかで神様が見ているような気がしたり、お正月にお宮参り、結婚式はキリスト教式、お葬式は仏教でやるようなものです。


日本の風習だと、正式な場での服装は男性だとスーツにネクタイ。スカートは女性がはくもので、男性がスカートをはいて会社に行くと、「ちょっとキミね……」と、上司に呼ばれるというのが、ほとんどでしょう。


それはなぜか?


そういう風習だからです。


人間の服装なのですから、「男性はスカート」、「女性はスーツにネクタイ」でも良いわけですが、我々の集団ではそうならなかっただけのことです。


考えてみれば、スーツにネクタイなんて、決して合理的でも快適な服装でもないわけですが、わたしたちは、なんとなく「スーツにネクタイ」が“正しい”と思っているわけです。


こういった風習はいたるところで見ることができます。


カレーライスはお箸で食べてもいいわけですが、日本ではスプーンで食べるという風習があります。本場のインドでは手でカレーを食べますが、日本の風習では「なにやってんの!」と叱られます。


人が亡くなったら、日本では火葬にしますが、ネパールでは野ざらしにして鳥に食べさせます。

どちらが正しいとか正しくないとかではなく、どちらもその集団ではそういう「風習が正しいとされている」だけのことです。



ところが、こういった社会風習は、少しずつ変化していきます。

これは「洗脳やマインドコントロールが解けた」のではなく、変化ですから、その変化が気に入らない人、ついていけない人も多くいます。


1960年代では、ビートルズ等の影響から髪の毛を伸ばすのが流行りました。


それはいまからみたら。「それで長髪?」と思う程度のものでしたが、多くのマジメと称するひとたちは激怒しました。


「男子たるものが、髪を伸ばすとはけしからん!」


中高生が、“電気ギター”を弾いたり、喫茶店に入ったりするだけで、退学や停学になる時代もありました。


農業・漁業・林業の衰退により、


「子どもは学校に行くよりも、家業を手伝うのが正しい」


という考え方はなくなり


「子どもは学校へ行くもの、大人は会社に行くもの」


という考え方が主流になりました。


アタマの硬い人、マジメな人ほど、こういった洗脳に縛られます。


人間は、そういった洗脳がないと生きていけない動物ですが、縛られすぎると生きづらくなってきます。


ほどほどのところで、ゆるやかにしておかないと、何もできなくなってしまいます。


ゆるやかに、ゆるやかに……が、いいですね。



不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)