お母さんの三重苦

近代に入ってから、「男は外で仕事、女は家庭を守る」という風潮が広まりました。

これはサラリーマンが多くなってきてからの風潮なんです。

それ以前であれば、農家だと夫婦も子ども一緒に田畑に出て一緒に野良仕事をしていたわけですから。

商店も同じで、家の表がお店、でも障子をあけるとそのお店の家族が生活する居間があって、お店にお客が入ってきたら、家族の誰かが、「はーい」なんて出てきたものです。


その頃、農家や商店の子どもは、サラリーマンの子どもがうらやましくって仕方なかったそうな。


サラリーマンの家庭では、家に帰るとお母さんしかいない。

家の仕事を手伝わされることも、用事を頼まれる確立も少なくなるんです。


もっとうらやましがられたのが、“鍵っ子”で、両親が働きに出ている子ども。


学校から帰ってきたら、誰もいないから自由に遊びにいくことができた。


家にはすでにおやつが用意されていて、お子遣いも置いてあったりして、農家や商店の子どもからすると、自分を規制する人がいないわけですから、うらやましくって仕方なかったものです。


皮肉なもので、いまほとんどの家庭が、共働きで学校から帰ってきても、子どもを縛る親が誰もいないという場合も少なくありません。

ただ、縛るものといえば、塾や稽古事などスケジュールがびっちり決まっていたりする。

朝は家で一人でだべて、昼は給食、夜はコンビニ弁当という子どもも少なくない。


でもこういう子どもが、“かわいそう”って決めつけることができるかっていうと、そうとも限らないんです。


最終的には、親子の愛情で埋め合わせができるんです。


いろいろな家庭があって、家族の風景もいろいろあるんですけど、どれが一番なんてことは言えませんね。



「男は外で仕事、女は家庭を守る」という形態も、これは原始時代の家族はこういったものだったんですよ。

お父さんは狩りに出てゆく。何日も帰ってこないことだってある。

お母さんは子育てと住居の周辺で、木の実などの採取をするというのが、家族の原型だったりしますね。


それでも、原始時代が不幸であったなんてことは、あまり考えられないんです。


当時から、人間は群れで暮らしていましたから、群れの女たちは子育てばかりをやっていたわけじゃない。

群れには、年寄り、特におばあさんたちがいるから、子守りはおばあさんたちにまかせて、お母さんたちは、近くの野原森林に木の実などを採取にいくことができた。

原始時代には、そういった子育てシステムというのが、すでに出来上がっていたといわれています。

福祉の制度もあったといいます。

狩りなどで重傷を負い、働けなくなった人にも、食料を分け与えられたといいますね。

これは掘り起こされた骨の状態を調べることでわかるそうです。




現在の主婦は、原始時代とくらべてどれくらい楽になっているのかなと思うと、まあ、労働その他は圧倒的に楽にはなっているんでしょう。



いま日本においては、飢えや渇きに苦しむことはほとんどない。

幼い子どもが死亡することもあまりない。

大昔、老人は40歳くらいで天命をまっとうしたから、介護の世話をすることも少ない。


40歳じゃ若すぎる?

そんなことはありません。充分長生きです。

野生の状態だと女性は10代後半で子どもを産み、それも毎年のように産みますから、20代の頃になると歯がボロボロになってくる。
30代になるともう文字通りのおばあちゃんです。

病気や飢えに抵抗力がありませんから、ちょっとしたことで天命をむかえることになります。



では、現代の人類はというと、80歳くらいまで長生きが当たり前ですし、何かとややこしいことがたくさんある。

特に『不登校・ひきこもり・ニート』のお子さんを持ったお母さんは大変で、子どもの世話に振り回されて、さらに世代・価値観の違う親との葛藤がある。

子どもが成長してきたら、その親には介護が必要になり、子どもで悩み、親の介護としんどいことが、一気にのしかかってくる。

これに夫の無理解が重なったら、文字通りの三重苦です。



この、『お母さんの三重苦』から少しでも逃れる方法はあるか?


ないでもない。


子どもには、たっぷりとした愛情が必要ですが、それ以外のことはなるべく人にお任せする。

できればとっとと独り立ちしてもらう。

子どもが稼ぐようになったら、子どもからこれまでの養育費を徴収してもいい。

介護もなるべく人に任せて楽をする。


子育て・介護は主婦の勤めという価値観を少し壊せばいいんです。

原始の時代では、子育て・介護は群れ全体でやりましたが、現代日本だとなかなかそうはいきません。


しかしそういった施設や請け負ってくれる企業はある。


お金はかかりますが、お金の許す限り利用してほしいと思います。


お金がない場合でも、公共サービスなどがあれば、利用できるところはなるべく利用してほしいものです。


その分、自分にゆとりを持ってほしいと思いますね。

心にゆとりがあれば、子どもや親、夫にも優しくなれ、いい笑顔をふりまくことができます。


それは、世間体を気にして、身も心のボロボロになった顔を人に見せるより、はるかに周囲の人にも気持ちのいいことなんです。


状況は、人によっていろいろなんでしょうが、できるだけ楽をしてゆとりを持つようにしていただきたいものですね。





不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)