生まれて来なかった方がよかった


不登校・ひきこもり・ニート』界隈には、「生まれて来なかった方がよかった」と、思っている人がときどきいる。


いや、当人だけではない、親にだって「こんな子はなど生まなければよかった」と、思ってる場合だってある。


周囲に人にも、「この人は生まれてこなかった方が、本人も親も周囲の人も、幸せだったかも知れない」


などと思っている場合だってある。


とても残念なことだけど、ときどきそういう人たちと出会うのだ。


彼らの成育歴を聞いたら、そのほとんどは親に愛されずに育った人である。


その親もまた、実に安直に子どもを作ってしまい、親になる自覚もなく育ててきた場合もある。


06年に起きた我が子と隣家の子どもを殺してしまった「秋田連続児童殺害事件」の畠山鈴香や、10年にあった「大阪幼児死体遺棄事件」母親の下村早苗容、あるいは、毎年のように、パチンコ屋の駐車場で、赤ん坊を車の中に置き去りにして、放置死させてしまうような母親は、氷山の一角に過ぎないのだ。


亡くなってしまった子に比べれば、まだ赤ちゃんポストや、養育施設に預けられる子は、幸せであるかも知れない。


そこまでひどくはなくても。そういった母親・父親に育てられた子どもは、やはり他人との上手な付き合い方を学ぶことができないまま成長し、安易な犯罪に手を染めたり、不登校・ひきこもりになってしまうこともある。

また、あまりにも悲しい現実から自らを守るために、精神を狂わせることで、自己を防衛することもあるという。


ぼくは、そうなってしまった人、そういう育て方をした親に対して、なす術も、掛ける言葉も知らない。


最後は、本人がどう思い、どう行動するか……、それだけだと思う。



不登校・ひきこもり・ニートを考える』
巨椋修(おぐらおさむ)