小心者でいいんだよ
ぼくは人間は、多少怖がりぐらいが丁度いいと思っています。
人が何かを怖がるというのは、過去の経験からか、あるいはまったく未経験であるために想像がつかないからであると考えられます。
怖がり、小心者というのは【まさかの事態について考えている】ということでもあるんです。
まさかの事態を考えていない人というのはちょっと困ったもので、無謀であるか、危機管理能力の欠如、リスク計算ができないということでもありますね。
さらにもっと困った人というのは、そのリスクとか、危機がわかっているのに、それを無視して【大丈夫、大丈夫】と、信じようとしている人です。
例えば、子どもが不登校になった場合、普通親御さんは心配します。
なぜ、心配するかというと、やはり不登校というのが、その子の将来に不利になると思っているから心配するんです。
そんな心配があるのに、表面的に【大丈夫、大丈夫】と信じようとしても、心の奥底では不安が増すばかりです。
そういう場合は、その不安や心配を、等身大で見据えて、どれくらい心配なのか、不安の原因は何かを、しっかり認識したほうが、はるかに不安は少なくなります。
ですから、例えば不登校なら、どれくらい不利なのか?
本当に、人生の取り返しがつかないくらい不登校だとダメなのか?
親として子どもに何を求めているのかを、しっかりと見据えてみる。
何か取り返しがつくとしたら、どんな方法があるのかを調べてみると、不安は少なくなってきます。
不安や不利になることから逃げよう逃げようとしたり、不安などを無理やり無視すると、その不安や危機に対する対策すら立てられなくなります。
不安になったり、小心者であるというのは、危機管理能力があり、何か心の琴線に引っかかっている、心が警戒信号を発しているということですから、決して悪いことではないんです。
よく【ありのままの自分を認める】といいますが、ありのまま自分というのは、自分の悪いところ、ダメなところも含めて認めるということです。
ダメなところを認めて、はじめてその対策を考えることができる。
ダメなところは見たくないからと、目をそむけているとダメなところはダメなままというのと同じことですね。
ただし、ここで注意。あくまで【ありのまま】の自分を見ることです。
過剰にダメな部分を強調して見てしまうと、一種の神経症と同じことになりますから、注意、注意。
人間、多少小心者くらいでいいんだと思います。
あまりにも……、というのはちょっと困ったものですけど、むしろほどよく小心者でいましょうよ。
小心者の自分も、認めてしまっていいんだと思います。