昔、福祉と失業問題は暴力団の仕事だった


いわゆる「ニート」とは何かというと、「若年失業者」とも言えるわけです。


だから二ート問題は失業問題でもある。


また「ひきこもり」も「ニート」も、ときとして福祉に関係することもあります。


昔、 福祉と失業問題は暴力団の仕事だった ……


と、書くと「そんなバカな!」という人がたくさんいることでしょう。


ところが違わない。


いまでも福祉と暴力団とはつながりがあったりします。


もちろん「すべて」ではない。一部です。


例えば、いまほど福祉政策や失業問題に行政が熱心でなかった時代……


失業した人はどうなるか?


まず、親や親戚縁者に頼った。


それがない・もしくは頼りにならない場合、彼らの多くは浮浪者や乞食になるしかなかった。


江戸時代であれば、穢多・非人という階級があり、浮浪者や乞食は、この組織に入らなければならないという掟がありました。


乞食をしようと思っても、乞食には縄張りというものがあって、いい場所、悪い場所があるのです。


放っておけば、その縄張りをめぐって争いになる。


そこで、争いを避けるためにも組織と秩序ができる。


その組織を穢多・非人として徳川幕府は公認したのです。


江戸時代では、乞食も勝手に出来なかったということですね。


もっともこういった賤民社会は、江戸時代以前からあったものです。




江戸時代も現在も、浮浪者になっていくのは、知的障害や精神障害の人が比較的多いというのは、残念ながら事実です。


また、昔、そういう人たちの面倒みるのも穢多・非人の仕事でもあったわけです。


他に、浮浪者を救うギョーカイとして、「テキヤ」というのがありました。


いまで言う露天商です。


さらにギャンブルで生計を立てる「博徒」という人たちもいます。


この「博徒」も、世間ではみ出した人たちを吸収する役割りをしていました。


この「テキヤ」と「博徒」は、現在日本の暴力団の原型ともいうべき組織に発展しています。


江戸時代から明治になりますと、穢多・非人という階級はなくなります。


昭和になると、「テキヤ」や「博徒」の一部は暴力団として組織化していくこともありました。



さてさて、わたしが何を言いたいのか?


昔、福祉や失業問題は「裏」の世界だったのですよ。


「え?」って思う人もいるでしょう。


失業して仕事がない人は、テキヤの親方に相談する。


「ああそう、じゃあ 金魚すくいでもやってみるか?」


ってことになる。


浮浪者には、精神障害、知的障害、身体障害の人が多いのも事実だけど、行き場を失ったそういった人たちを、拾ってきて何らかの仕事をあてがったりもした。


女の子なら売春という手もあるしね。


この流れは、いまでも続いています。



逆にいえば、一般の人たちはこういった福祉が必要であった人たちから、見て見ぬふりをしていて、彼らに手を差し伸べるのが、ヤクザしかなかったということかも知れません。


いまでも、貧困者救済をいうビジネスや、福祉に関係する仕事を、暴力団の息がかかった人たちがやっていることは、少なくないというのも、事実であったりします。






不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)