あなたが悪いわけじゃない 誰かが悪いわけじゃない


不登校にせよ、ひきこもりせよ、ニートにせよ、当事者は自分自身を責める傾向があります。


当事者だけでなく、保護者(特に母親)も、自分自身を責める傾向があるように思います。


表面的にに見ると、「たしかにそうかもな」と、思えることも多いのも事実です。



しかし、ちゃんとそれらの人の話しを聞いていくと、ほとんどの場合、その人がそうなったのは、そうならざるを得なかった事情があったり、仕方がなかったりすることが、ほとんどだったりします。



子どもを叩いたり、親を殴ったりする場合も、本人がそのよう学習していたり、どうしようもないストレスや、どうしようもない窮地に追い込まれてしまっていたり、周囲に理解者が少ないなどといった場合がほとんどです。



そういった人たちの中には、

「自分が悪いんじゃない。悪いのは他の家族や、社会、政治が悪いんだ!」

と、自分以外の誰かや何かを攻撃することで、自分の正当性を求めようとする人もいます。


これは個人だけではなく、組織や団体などにもよく見られることで、敵を作ることによって結束しようとしたり、自分たちを正当化しようとするところもあります。


誰かのせいにして、敵を作ってそれを攻撃することによって、一時的に、自分が救われたような気になるという方法は、確かにあると思います。


確かにあるのですが、それはあくまでも、自分が復帰するためにファースト・ステップでしかなく、いつまでも他者や社会を攻撃しているだけでは、その人は永遠に救われないと思うのですよ。


最終的にはね。


人というのは、他者や社会などと、どこかで折り合って生きていかないと安心を得ることができません。


安心した生き方というのは、「共存共栄」であり「自他共栄」であり、「半ば自分の幸せを祈りつつ、半ば他人の幸せを同時に祈る」というところにあるといえます。



あなたが悪かったんじゃない。


誰かが悪かったんじゃない。



たとえ、そういったことがあったとしても、過去は取り戻せない。


過去は取り戻すことはできなくても、過去から学ぶことはできる。


未来を変えることはできる。


物事を悪く考えるより、いい方向に考えた方がいいし、そのほうが自分も他人も楽になります。


力を抜いていきましょうよ。


人生それが一番だと思いますよ。(笑)






不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ