ひきこもりの引き出し屋について②


前回『ひきこもりの引き出し屋について』というのを書きました。


その文章について、読者の方から


「私的な団体にまかされているのがいけない、公的な機関がもっと機能できるようでなければ……」


というご意見をいただきました。


そこでそのことに関して、少し考えてみたいと思います。


まずわたしは、現在のところ、日本の公的福祉機関にせよ教育機関にせよ、よくやっていると評価しております。


そんな中で、これ以上『公的機関にまかせる』というのは難しいかも知れないと思うこともあります。


特に、『引き出し屋』のように、『ひきこもり』の人を出そうというのは難しいのです。




なぜか?




“人権”というのが、良きにつけ悪しきつけ邪魔をするのです。


人権というのは、一方的なものじゃないわけです。


ひきこもり家族の人権もあれば、当人の人権もある。ご近所の人権もあります。 


どういうことか?


家庭内暴力に日々さらされている家族がいたとしたら、その被害家族の人権がある。


ひきこもっている当事者には、当事者の人権がある。


家庭内暴力があれば、怒声や悲鳴が戸外に漏れるわけで、それを日々聞かされているご近所の人々の人権もある。


人権とはを守るとは、誰の人権のことをいうのか?


と、いうことになります。


よく人は安易に、


「暴れたり、ひきこもっている人に人権なんかない」


といいますね。


しかしもし、そうして『ひきこもり』者の人権を無視し、福祉機関や教育機関、警察が、自由にひきこもり者の部屋や自宅に、押し込んで逮捕、強制連行、監禁拘束ができるようになったとするとどうでしょう?




大変は権力を公的機関が持つことになります。


そして、公的に人権無視が行われかねない。




これは大変おそろしいことです。


他にも、公的機関というのは、税金でまかなわれるということになります。


国民にとって、公的機関を使用するというのは、当然の権利なんですけど、どうしても安易に使ってしまう傾向にあります。


カンタンにいうと、日本の救急車は無料であり、大変すばらしい公的サービスなんですが、これを悪用して、救急車をタクシー代わりにする人が後を絶たない。


いま義務教育では、給食費の滞納が大問題になっているのですが、中には


「義務教育なんだから、払わなくてもいい」


と、公然と支払い拒否をする人も大変多い。


生活保護もまた、安易に生活保護をもらう人が増えてきて、生活保護受給者が多いある街では、生活保護が支給されたその日からパチンコや大盛況し、競馬の日には、街から人が消えるなんてことが、実際に起こっています。


結果、安易は公的サービスのばら撒きは、資金不足になり、本当に困っている人を圧迫する結果になる。


ということにもなります。


公的サービスは、このようにいろいろと難しい局面をむかえているのが実態なのです。


このように、ひきこもりの『引き出し屋』を公的機関が、もっとカンタンにできるようにというのは、とても難しい背景がありますね。


よって、この『ひきこもりの引き出し屋』について、安易な答えを求めるのも、とても難しいのです。


こういったことも、『不登校・ひきこもり・ニート』に関係している人は、もっと真剣に考えるべきなのでしょうね。



FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)