ゆるやかに ほがらかに
人間、生きていると365日24時間上機嫌というわけにはいきませんね。
やっぱり、つらいこと、哀しいこと、苦しいこともあります。
つらいとき哀しいときは、落ち込んでいいと思いますっていうか、落ち込むのが当たり前ですね。
それ以外のときは、なるべくほがらかにしていたいものです。
落ち込みがちな人や、いつも不機嫌な人っていうのは、どうしても人から避けられたり、嫌がられたりします。
いま、齋藤孝さんの『上機嫌の作法』(角川oneテーマ21刊)によると
「くよくよして、むっとして、無気力でいて、何か新しいものが生まれるのでしょうか?
わたしには、不機嫌さと「なんらかの能力が欠如しているのを覆い隠すため」だとしか考えられません」
とあり、さらに
「機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態です。気分的なものに左右され、自分の意志では制御できないもののように思われている節があります。
しかし人間が社会的動物である以上、ただ気分のなすがままにしていたのではダメなのです。
不機嫌さは自分の殻をつくります。
人に対してオープンでなければ、対人関係はうまくいかない」
とあります。
その通りだと思います。
なんでも齋藤孝さんは、若い頃、ひどくいつも不機嫌でしたが、あるとき不機嫌がいかに無駄であるかに気付き、いつも上機嫌でいるよう“癖”にするようにしたとか。
すると仕事をするときや、人と会うときなど気分が晴れるようになったそうです。
「さすが」と、しかいいようがないですね。
興味のある方は一読をオススメする本です。
ただ、上機嫌の方がいいからといって、無理やりハイテンションであり続けるというのは、むしろエネルギーを使いすぎてしまうこともありますよね。
人との付き合いが下手な人は、むりやり上機嫌になろうとして疲れてしまったり、上機嫌と不機嫌の差が極端になってしまう場合もあると思います。
上機嫌というのは、何もハイテンションである必要はないですね。
ゆるやかに ほがらかに。
これくらいがいいんじゃないでしょうか。
ゆるやかに ほがらかに。
わたし自身は、いつもそんな感じで、機嫌よくほがらかにいけたらいいなあと思います。
FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)