ある不登校児が大学院を卒院
いまから9年ほど前に、一冊の本を書いた。
『不登校の真実−学校から逃れる子どもたち』という本である。
不登校経験者や保護者、教師、医師、我が子がいじめで自殺をしてしまった親御さん、支援者などを取材して一冊の本にまとめたものである。
ぼくはそのころ、少年の凶悪犯罪に興味があり、最初は少年凶悪犯罪の本を企画していたのであるが、出版社から不登校をテーマにした本を……、と、依頼されて書いたのがこの本である。
不登校と少年凶悪犯罪は、まったく無関係というわけではないので、引き受けた。
このことが、いまでも不登校と関るキッカケになる。
さて、この本で取材した1人の不登校経験者がいる。
後に、映画版『不登校の真実』のモデルになる若者であった。
彼は、中一のとき不登校になり、部屋の中にひきこもるようになる。
親が自分の部屋に侵入してくるのを防ぐため、部屋の前にバリケードを作り、近づく親をモデルガンで撃ったという。
また罪悪感からか拒食症になり、ガリガリにやせ衰えてしまったという。
困った両親は、彼を「いい所に連れていってあげる」とだまして、宗教の矯正施設に連れて行き、置き去りになれてしまう。
この両親をひどい親というのは間違っている。
ご両親は、そうせざるを得ないくらいに追いつめられていたのだ。
施設の中で、彼は「親を殺す」ことばかりを考え、何度か脱走をこころみている。
やがて、脱走が認められ出所。
なんとか学校に戻り、高校受験。
そのとき、定時制や不登校を対象にしている通信制高校といった“絶対に落ちるはずのない”高校に、4度も受験を失敗した。
ちょっと考えられない落ちこぼれともいえよう。
と、いっても暴力的な不良であったわけではない。施設などでもいじめなどを受けたこともあって、外出時はナイフを数本携帯していたという。
彼は何度も死のうして死に切れず、生きようとして生ききれない若者でもあったが、他にも同じように、不登校が原因で苦しんでいる子どもたちが多くいることを知り、彼自身は、バイトなどで食いつなぎながら、その子たちのための支援活動をするようになる。
そんな彼だから、これまでの最終学歴は中卒である。
中学校の成績は……、ほとんど行ってないので評価のしようがない。
おそらく実力的にも最低レベルであったであろう。
しかし、彼は一生懸命に不登校の支援を行なった。
その活動が認められたのか、国立大学の非常勤講師になり、学生たちに不登校に関する講義を行なったり、全国の不登校の子どもを持つ親の会などに招待され、講演などを行なうようになっていく。
ぼくが知り合ったのもその頃で、ぼくと彼がつくった映画は、かなりの評判になり、新聞テレビなどで紹介され、全国百ヶ所以上で上映された。
※東京新聞より
そんな男が何を思ったのか、大学院に行くと言い出した。
もう年齢は30代の前半になっていた。
大学院の入学は、学歴は関係ないそうなのである。
彼は、試験では不登校に関する論文を書いたのだと思う。
それが評価され、東京六大学のひとつの大学院に入院する。
政治と経済について学んだという。
で、この前ついに修士論文が通り、卒院ということになったらしい。
近々、ちょっとお祝いをしてやろうと思っている。
FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)