礼儀とマナーは大切です。その2


「いいか、人間ってもんはな、寝たり、食ったり、たれたりする本能的なことは、恥ずかしく思う生き物なんだぜ」
―コアラブックス刊 巨椋修(おぐらおさむ)著 『新版丹下左膳』より―





礼儀作法とは何か?





礼儀作法とは、 思いやり である!






礼儀作法とは、 優しさ である!






礼儀作法とは、 こころくばり である!








礼儀作法とは、これらの言葉につきると言っていいでしょう。


ただね、優柔不断は、優しいことじゃないんです。


憂うことは優しいことではない。


漢字を解剖してみれば、優しさとは、憂う人の横に立ち、思いやり、こころをくばる人のことをいいます。

こころくばりをする人とは、たた心配(しんぱい)をしてオロオロとたたずんでいる人のことではない。

たたずんているひとに、こころくばりをして楽にさせてあげるようにする人のことを指します。




礼儀作法とは、相手への優しさであり、おもいやりであり、ここをくばり、相手や周囲に人に、不快感や迷惑をかけないようにし、自分もまた平和、安心の中にいるための、人間関係術なのです。


昔の日本では、武士はいつも人殺し用の武器を携帯していました。

そんなとき、相手に不快感を与え、怒りをかうような言動を繰り返していたとしたら、いつ殺し合いが始まるかわかりません。

そのため、武士は礼を重んじ、お互いが平和に暮らせるようにしたわけです。


国際間の交渉のとき、儀礼をもちいますが、これも同じで、相手に失礼をしてしまった場合、戦争になる可能性があります。

よって国際儀礼(プレトコール)を重視し、戦争にならないように、お互いに礼をつくすのです。


これは、現代の家族間や友人間でも、同じといえましょう。


家族や友人の間ですと、お互いに気心が知れているわけですから、未知の人に対するような礼儀作法は必要ありませんが、それでもまったくない場合、その家族は、崩壊します。


つまり、礼儀作法とは、自他への優しさ、思いやり、こころくばりのことですから、日常よく顔を合わせる相手にこそ、思いやりや、優しさを表さないといけないのは言うまでもないでしょう。


家族は家族というハコの中だけで生活するものではありません。

他家におじゃますることもあるでしょうし、外食や冠婚葬祭で出かけることも少なくないと思います。

こういう場合、普段、家庭内だけでおさまっていたことが、他者の目にふれることになります。

つまり、他者や周囲に対して、優しくない、思いやりのない行動として、出てしまうことが少なくありません。


これはよく目にすることですが、一人暮らしの人が、外食をしたとき、普段、家でしている食べ方を結婚式場やレストランなどで、やってしまう場合が少なくありません。

かしこまった場所ですから、最初は、おすましをしているのですが、すぐにボロがでます。

冒頭の『新版丹下左膳』のセリフ


「いいか、人間ってもんはな、寝たり、食ったり、たれたりする本能的なことは、恥ずかしく思う生き物なんだぜ」


ではありませんが、食べるという行為は、実に本能的な行為であり


例えば、寝ている姿は、あまり人に見せたくありませんし、排泄する姿を見せたくはないでしょう。

寝ている姿は、家族や仲間のような安心できる相手か、あるいは個室で寝ることで、解決できます。

トイレは、個室ですから、人に用をたしている姿を見られることはない。

しかし、食べるという行為だけは、いつか人前でやらないといけなくなる。

だから家庭の躾というのは、食事のマナーが中心になりますね。

食事というのは、やり方を間違えると、とても下品に、汚らしく映ります。

綺麗に食べると、それだけでその人の評価が上がります。

逆にいえば、食事のマナーがある程度できていれば、大抵の場面で恥ずかしい思いをすることがありません。



だから、最低限ポイントだけ、家庭で押さえておけばいいんですよ。

では、最低限のポイント。



1,食事中、優しさと思いやりと、こころくばりを忘れない。


2,間違ったやり方をしている人をあざ笑ったり、激しく叱責しない。


3,美味しそうに食べる。楽しい話しをしながら食べる。


4,美しく食べるように心がける



以上です。

これを、普段から心がけていれば、それだけで充分です。

あとのコマコマしたことなど、これらを心がけていると、自然にできるようになります。

礼儀作法というのは、型を重んじるのではなく、優しさや思いやりこころくばりなのですから、型に縛られて、かえって慇懃(いんぎん)になってしまっては、なんにもなりません。



(つづく)



FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)