◆FHN放送局 第71回放送 

ニート夏目漱石


【配信日】 2010年01月08日



【出演】 巨椋 修(おぐら おさむ)、天正 彩(てんしょう あや)


●はじめに
昨年はFHN放送局をご覧いただきありがとうございました。
FHN放送局は現在、色々と悪だくみ中のため、今までの中からディレクター・ミタニが心に残った放送をお送りいたします。

今回は「ニート夏目漱石

自分が半ひきこもりやニートだった頃、折れ線グラフで表すのなら、一定のマイナス状態がそれ以上に良くなることも悪くなることもなく、海の凪のように何も波風の立たない平行線が続く、大きな喜びもなければ悲しみもない日々でした。

家では犬を飼っていたのですが、鎖で繋がれてこそいないものの、まるで俺はこの犬のようだ・・・と、親に飼われている犬と何も変わらない自分が惨めで虚しく、自嘲していました。

ただ、ただ、漠然とした虚しさや悲しみ、不安、焦り、負の感情を抱え、時だけが過ぎていく日々。

「変わらない人はいない、人は良くも悪くも変わっていくものだ」
代表巨椋が話していました。

半ひきこもりやニートだったあの頃、今がずっと続くような感覚でしたが、確かに人は様々な出来事により、変わっていったり、変わらざる得ないのだと自分や周囲を見て感じます。

働く等、気持ちを外へ向け動いていると、半ひきこもりやニートだった頃の、折れ線グラフでいう一定なマイナス状態が続くことはなく、その頃以上のマイナスにグラフが落ちるしんどさもあれば、逆に昔では考えられなかった充実を感じることが出来たり、折れ線グラフは上へ下へと折れ曲がり、日々変化に富み、普通ってなんて波乱万丈なんだろうと実感します。

変わる事が避けられないのなら、自分も含め、出来れば良い方向へ変わっていって欲しい、そう切に願います。


不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局
ディレクター・ミタニ




●解説
ニートは元々、イギリスで生まれた言葉です。
最初はイギリスでは

「Not currently engaged in Employment, Education or Training」の略語であり、日本語訳は

「教育を受けておらず、労働をしておらず、職業訓練もしていない」

という意味になります。

これが日本に輸入してくると、いささか定義が変わってきたようです。


厚生労働省の定義によると


・「若者の人間力を高めるための国民会議資料」や平成17年以降の「労働経済白書労働経済の分析)」では、ニートを「非労働力人口のうち、年齢15歳〜34歳、通学・家事もしていない者」としており、平成16年「労働経済白書労働経済の分析)」での定義(「年齢15〜34歳、卒業者、未婚であって、家事・通学をしていない者」)に、学籍はあるが、実際は学校に行っていない人 、既婚者で家事をしていない人 となっています。


また、内閣府の定義によりますと


・「内閣府の「青少年の就労に関する研究調査」で用いられる定義は、「高校や大学などの学校及び予備校・専修学校などに通学しておらず、配偶者のいない独身者であり、ふだん収入を伴う仕事をしていない15歳以上 34歳以下の個人である」としている。なおこの調査では、家事手伝いについてもニートに含めるとしている」


このように、微妙な違いはありますが、政府の考えるニートとは15歳〜34歳の若者層で、「学校にもいかず、働いてもいない人たち」のことを「ニート」としているように思えます。

ニートという言葉が、日本に輸入される前に、日本には『ひきこもり』という問題があり、おそらくそのひきこもりに近い状態の人たちで、しかし家や部屋にひきこもっているわけではなく、人に遊びに出かけたりする人をうまく表現する方法がなかったとき、この「ニート」という言葉が、合致したのではないかと、わたし巨椋修(おぐらおさむ)は推測しております。

また、このような若者は、最近急激に増えてきたということではなく、実は大昔からいたようで、文豪夏目漱石は、自らの小説で次のような文章を残しています。



夏目漱石 ―『門』より―

「彼は門を通る人ではなかった。

また門を通らないで済む人でもなかった。

要するに、彼は門の下に立ち竦(すく)んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」



夏目漱石 ―『草枕』より―

「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。

智(ち)に働けば角(かど)が立つ。

情(じょう)に棹(さお)させば流される。

意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。
とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」



以上、夏目漱石の『門』と『草枕』より引用をいたしました。

なにか、ニートやひきこもり系の人、不登校の人にも考えさせられる言葉であるような気もします。


「彼は門を通る人ではなかった。

また門を通らないで済む人でもなかった。

要するに、彼は門の下に立ち竦(すく)んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」


いくら立ちすくんでいても……

いつかは、その門を通らざるを得ないのでしょう。

いま不登校に苦しむの人も、ひきこもりやニートに苦しむ人も……






      不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表

                    巨椋修(おぐら おさむ)