障害者はいらないなどということはあり得ない!
相模原の障害者施設で入所者19人が死亡し、26人が重軽傷を負った事件がありました。
体の動けない、口がきけない複数の障害がある重い障害者ばかりを狙い襲撃したようです。
容疑者が2月に衆議院議長に出した手紙によると
日本国と世界平和の為
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。
とあり“歪んだ彼なりの正義のため”に決行したようです。
似たような考えを持った人物が、かつていました。その名はアドルフ・ヒトラー。
ヒトラーは「戦争は不治の病人を抹殺する絶好の機会である」といったり「無用である」といい、知的障害、身体障害、精神障害のある人を「安楽死プログラム」を作り、約7万人の障害者を殺害しました。
ヒトラーは正しかったのでしょうか? 断じて正しくありません!
人間は社会的動物であり、共同体を作って生活している生き物です。アマゾンやアフリカの奥地で、いまだに文明と隔絶した生活をしている人たちも、その共同体の障害者や老人を殺したり捨てたりせず、平等に食料を分け与えるのが当たり前。
その方が共同体の人たちが安心して暮らしていけるからです。なぜなら、いつ自分や家族がそういった立場になるかわからないから。
日本には「姥捨て伝説」がありますが、実際に老人を捨てたという史実はなくむしろ「老人を捨てたが、老人の知恵があり村が助かった」と、お年寄りを大切にしなさいという訓話であったようです。
(参考:お年寄りを山に棄てる「姥捨て」はただの伝説。実は無かった。)
ちょうどYahoo!知恵袋に『なぜ弱者を抹殺してはいけないのか?』という質問がありましたので、その答えをちょっと紹介します。
(引用:「弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に・・・」より)
え〜っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です
個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです
種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り
「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです
そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです
10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります
人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です
どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の"弱者"を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました
生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)
「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です
遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです
(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)
アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです
だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです
我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです
(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664 より引用)
以上です。
すごく理性的なお答えで感心します。そしてどんなに重い障害を持っている方でも、みんな一緒に生きるのが、私たちホモ・サピエンス、人間という種が選んだ生き方なのです。
どんな人でも、みんな必要な人なのです。
高齢化する現代日本では老人の介護問題が深刻です。この介護がこのままというのは、あきらかに政府・行政の手抜きといえるでしょう。
老人介護に疲れた子どもが親を殺したり、親と心中する人が後を絶ちません。この国はもっと福祉に力を入れなければと思う次第です。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)
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巨椋修(おぐらおさむ)は陽明門護身拳法という護身術&総合格闘技の師範をやっています。
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