そこそこに、そこそこに
という問いに関しての答えとしては
本人が、学校や社会に対して、つらい思いをしている
という一言につきると思うんですよ。
本人が、学校や社会に何らかの軋轢、や恐怖感じており、それでつらい思いをしていることが多いということです。
これはね、よく言われる「根性がない」とか、「甘え」というのとは違うものです。
むしろ上手く人に甘えることができない人に多く起こるように、わたしは感じています。
ところが、このようにつらい思いをしている人の気持ちは、挫折も障害もなく育ってきた人には、あまりわからないといってもいいでしょう。
『不登校・ひきこもり・ニート』に対して「根性がない、甘えている」と、きびしく批判していた人ご自身が、何らかの障害が壁にぶちあたり……
例えばそれは、会社からのリストラとか、窓際に追いやられるとか、経営不振とかといった、障害を前にして、うつ病になったり、自殺をはかったりすることでもわかると思います。
そういった人でも、バリバリやっているときは、自分が落ち込み、傷つくことさえ想像できないのが、人というものなんでしょう。
そういった人のほとんどもまた、元気だった時代に落ち込んでいる人や、子ども、若者を見て
「オレなんかもっと大変な苦労を、努力と根性ではね返してしたんだ」
と、胸を張っていたと思うんですよ。
そう言う人には、努力や根性が出せるということも、幸運のひとつであるということが理解しにくいのでありましょう。
人間というのは、個人ではどうしようもない気質、気性、運、気分……
そんなものに影響され、そういった偶然が、ずんずんと積み重なって、いまの個人になっているとも言えそうです。
人というものが、そういった偶然の上に成り立っていると仮定した場合、
本人も周囲の人も含めて、あまり張り切って『不登校・ひきこもり・ニート』からの脱出とか言い出さない方がいいと思うんですよ。
張り切ってしまうと、どうしてもムリがでますからね。
張り切らないで、そこそこに、そこそこに
それでいいんじゃないですかねえ。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)