受け入れるということ
『不登校・ひきこもり・ニート』に限らず、人生において起こる事柄を受け入れるというのは大変難しい。
人は、意図も簡単に「受け入れなさい」というが、なかなかそうはいかないのだ。
『不登校・ひきこもり・ニート』系の人も、あるいはうつ病など心の病気、または体の病気にしても、我が身にそれが起こったとき、受け入れるのには大変な勇気がいる。
なぜ受け入れることがこれほど困難で勇気がいるのか?
それは、ほとんどの人が、自己中心主義者であるからだ。
人間は、自分の体や脳を通してしか物事を見ることができない。
自分より勉強ができる人は賢いと思い、自分より勉強ができない人はバカだと判断する。
これはスポーツや体の大きさなども同様であろう。
その人の基準はその人を中心で判断評価する。
つまり自己中心。
しかし、世界は、地球は、自然は、他の人は、決してあなた中心では動いていない。
ここにギャップが生まれる。
あなたが、いくら夜は来てくれるなと願っても、あなたに関係なく夜は来れば朝もくる。
台風もくれば地震も起きる。
自然はあなたの都合など構ってくれない。
他人もほとんどの場合、あなたの都合に合わせてはくれない。
『不登校・ひきこもり・ニート』系やうつ病など心の病系の人は、そのことが受け入れられない。
受け入れたくない。
しかし、風邪をひいた人が風邪であることを受け入れ、薬を飲み休養し、栄養をとり、部屋を暖かくするなど環境を変えないと、風邪を治すことが困難なように、『不登校・ひきこもり・ニート』系や心の病系の人は、自分の状態を受け入れない限り、治すのは困難なのだ。
受け入れたくないため、人はいろいろと理由をつけたり、抵抗をしたりする。
それは医者のキューブラー・ロス博士が言った、死を宣告された人が、死を受け入れるまでの5段階に似ている。
死の受容の5段階は以下のごとくだ。
否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階。
怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態。
抑うつ
なにもできなくなる段階。
受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階。
苦しんでいる人が、いかに抵抗しようと、地球の回転はとまらないし、台風や地震は関係なくおこる。
そしてほとんどの人は、あなたの苦しみには無関心だ。
助かるには、あなた自身が苦しみを受け入れて、良くなりたい改善したいと願い、行動するか
あるいは、家族なり行政なりが、あなたを説得するか、強制的にちあなたをどこか福祉施設に連れて行くかくらいしかない。
どちらにせよ、受け入れること以外から苦しみから逃れる方法は、極めて少ない。
受け入れるということは、現実を認めるということなのだ。
『FHN放送局』
巨椋修(おぐらおさむ)