君はなんのために生きているのか?

「生まれてしまったから生きている」
 栗山は悲しげな目でいった。
「百姓たちは明日のためになど生きておらん。明日もあさっても何もない。いいことは何もおこらん。それでも生きている。生まれてしまったからだ。生きていることを悲しんでいる。おのれ命を心の底で憎んでいる。しかも、それさえ時たま考えるだけで、命があるから今日も生き続ける」


―「妖星伝(一)」半村良著・講談社文庫より―


人は何のために生きるのか?

それは人が猿から人になったとき以来の永遠のテーマかも知れません。

あるいは決められた寿命のようなものの間に、なすべきことがあるのかも知れません。

生物学者がいうように、生命は遺伝子の箱舟で、命をつなぐために生きているのかも知れません。

宇宙的な時間を視野に入れてしまうと、人間の生きる意味などないのかも知れません。

死後の世界や転生というものがないとすれば、人生とは、生まれてから死ぬまでの間の期間のことです。

その期間を、どのように過ごすのかは、人それぞれであり、現在・過去・未来の人間すべてを合わせても、同じ人生を歩む者は誰一人いないと思われます。


「どう生きるかは、本人の自由」などといわれても、どう生きるか死ぬかなど、本人の思いのままにはなりません。


ぼくは、こんなブログを書いていますが、「自殺は絶対ダメ」とかはいえません。


人間は生まれた限り必ず死にますが


「死ぬために生まれてきたわけではない」と、いうことはいえそうです。


そして、死ぬそのときまで、生きていたいものだと、ぼくは思います。




FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)