性について考える



前回『結婚問題』にも書きましたが、ひきこもりやニート、フリーターの人にとって、結婚は、なかなかに難問となる現実があります。


不登校やひきこもり・ニートの人にとって、恋愛もまた難しくなる場合も少なくありません。


結婚にせよ、恋愛にせよ、性と無関係ではありません。


これまでも、何回となくこのブログで性について書いてきました。


なぜ性について書くかというと、別にわたしが異常に性に感心があるからというわけではないのです。
(関心はあるけど)


それだけ人間にとって、重要な事柄であるからです。


性に対する関心の高さと複雑な感情は、記事に対する反応にも表れてる。


つまり、性に関することを書くと、ヒット数はアップするがコメントなどは激減したりする否定的なコメントがきたりする。


これが何を表しているかというと



「性には強い関心がある。でも意見をいうのは恥ずかしい」



ということなのでしょう。


どれくらい関心があるか?


例えば、少女マンガというジャンルがあります。


主に女性や少女が読むマンガ雑誌ですが、その内容の100パーセント近くが性、つまり恋愛に関することを描いています。


コンビニの雑誌コーナーの一角には、成人向け雑誌が置いてありますが、それはエロ本コーナーです。


流行りの音楽の圧倒的多数、ほとんどが恋愛について歌ったもので、つまりところ男女間の性に関することを歌ったものといえます。


女性が着飾ったり、男性が多くのモノを所有しようとするのも無関係ではありません。


人間という生き物は、エネルギーのほとんどを性欲やそれに関連する何かのために費やしていると言っても過言ではないのです。


こう言うと必ず



「そんなことはありません。それはアナタが異常なんです」



と言う人もいらっしゃることでしょう。


しかしながら、「人間は何のために生きているのか?」となると、「食べるためだけ」と言い切ることだけでは困難です。


食べることが、人間にとって「性よりも重要」と感じているのなら、流行りの音楽は、「ああなんとすばらしいイカのリゾットと舌平目のムニエル」とか、「蝦夷鹿ロースのソテーのためなら、ぼくは死んでも悔いはない」という歌が大ヒットしてもおかしくないはずです。



料理マンガや料理番組はヒットしていますが、人が食べることが目的に生きているのなら、マンガやドラマの8割くらいを占めていてもおかしくはありませんが、そうなってはいない。



また、戦争や飢餓に見舞われたとき、人間の性欲は高まり子作りに励むようになります。


食欲が満足できるようになれば、子作りよりも性を遊び道具にするようになります。



「生とは性なり」



と、喝破する知識人も多くいたりします。


その一面で、性は快感だけではなく、苦痛をもたらす場合もあります。


性は人間の本性(ほんしょう)であり、通常、隠蔽(いんぺい)されているものでもあります。

(つづく)





不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)