幸せと豊かさとは何か

例えば、皆さんの多くは世紀末に生まれ、新世紀の日本に生きているわけです。

66億人いる人類の中で、この国に生まれるということは、それだけで世界的にみれば豊かな生活を保障されたも同然なわけです。

だからもしかしたら運がいいといえるのかも知れない。

しかし、どんなに豊かな国や家庭に生まれても、それがイコール幸せであるとは限らないというのも事実。


豊かさや幸せというのは、自分ひとりで決まるかというとそうでもないもんなんです。


例えば、我々の持ち物のは、10年前20年前だと、誰も持っていなかったという物がたくさんありますよね。

パソコンとか携帯電話なんかもそのひとつです。


ところがそういった物を、いまではみんな持っている。


いまの時代、それを持っていないと貧しく感じるんです。


誰も持っていない時代は、なくても不自由でも、不便でもなかったはずなのに、みんなが持っていると、自分も持っていないといけないと感じるのが人間。



周りの人がみんな持っているから、自分も持っていて当たり前と思っているのが人間。



みんなが持っていて、自分が持っていないと貧しいと感じるのが人間。



ここにね、幸せや豊かさのヒミツがありますね。



幸せや豊かさというのは、人と比べて評価し、追い求めるものであると言えるんです。


みんなが学校に行っているから、ぼくも学校に行かなければならない。


この年代の年収は、平均○百万円だから同じくらいないと恥ずかしい。


できたら、人より少しだけ多く欲しい。


いつだって、いまより少しだけ多く欲しい。


あるいはもっと多く欲しいのかも知れない。(笑)


人間という大脳が異様に発達した人間の欲望というのは、「足るを知らず」という永遠の欲望地獄に落ち込んでいるともいえるのですよ。


幸せだってそうじゃない?


恋人や配偶者ができた。


子どもができた。


本来ならそれで、多いに喜ばしいことなのに、いつも他の人と比べている。

いつも、人を羨ましがっているのが人間。 



子どもなんかでも、最初は「健康な赤ちゃんが生まれてきたら、それだけで充分」なんて思っているのに、親はどんどん贅沢、わがままを言い出します。


「足るを知るべし」


「足るを知るべし」


いまの時代を生きていようと、テレビもパソコンも車ももってなくても、幸せを感じ、とても豊かに、充分満足している人はたくさんいます。



「足るを知るべし」


「足るを知るべし」


なぜそうも周囲と一緒になりたがるのか?

なぜそうも世間体を気にしすぎて苦しんでいるのか?


みんなと一緒というのが、一番安心できるのは、よく理解できます。

それはそれで正しいことでしょう。

でも、みんなと一緒でいるために、苦痛が伴なうとしたら、少しだけ集団と離れてみるものいいのかも知れない。

あまり人の顔色をうかがわなくてすむ集団に所属するのもいいし、自分で作るのもいい。


幸せを、追い求めるのもいいでしょう。


それが人というものです。


ただ、もしいま幸せを持っているとすれば、他の幸せを求めるためにいまある幸せを、ないがしろにしないというのもひとつの方法でしょうね。


最後にわたしの好きな言葉をひとつ。




「幸せになるなんて簡単だ。幸せだと思えばいい」
エマソンアメリカの牧師、思想家―





不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局代表』
巨椋修(おぐらおさむ)