不登校支援者とひきこもり支援者とのギャップ
え〜、このブログは、『不登校・ひきこもり・ニートを考えるブログ』でありまして『不登校・ひきこもり・ニートを支援するブログ』ではないのであります。
“考えるブログ”であると、何かと気が付くことがありまして、例えば
不登校支援者と、ひきこもり支援者、ニート支援者には、それぞれにギャップがあるなあ
などと思ったりもするのであります。
この、不登校、ひきこもり、ニートというのは重なるものがあるものの、一緒ではないのであります。
不登校の人が、ひきこもり・ニートであるとは限らないのであります。
ひきこもりの人が、不登校・ニートであるとは限らないのであります。
ニートの人が、不登校・ひきこもりであるとは限らないのであります。
ただ、かぶることは多いのであります。
で、ここではとりあえず、不登校支援を、不登校児童生徒、つまり18歳以下が対象と仮定しましょうか。
とりあえず、ひきこもり・ニート支援を、18歳以上の社会人を対象と仮定しましょう。
いや、もっとわかりやすく、18歳以下が対象の不登校支援と、社会人が対象のひきこもり・ニート支援と仮定しましょう。
乱暴な仕分けというのはわかりますが、ここは取りあえずそうしておきましょう。
「再び、学校に行けるように支援する、あるいは、高校・大学・専門学校に進学できるように支援する」
という人や団体の人たちと
「不登校でもいいじゃないか」
という人たちがいるのであります。
もちろん、両方を対象としたところもあります。
ところが、それが『ひきこもり・ニート』を対象にした場合だと
「いまのままでいいじゃないか」
というわけにはいかなくなるのであります。
「“いまは”『ひきこもり・ニート』でもいいけれど、いずれ社会に出て行くわけだから、このままずっとというわけにはいかない」
と、なってくるのであります。
これは多いに考えたいところであります。
『不登校を支援している人たち』は、『ひきこもり・ニートでもいいじゃないか』ということが言いにくくなるということでもあります。
つまり、不登校とニートの支援者には、微妙に違いが出るということでもあります。
いいじゃないかが、いいじゃないかでなくなるのでありますね。