感謝の心は人間関係の基本です
数年前、ユーキャン新語・流行語大賞の表彰式に出席したとき、2006年版の『現代用語の基礎知識』をいただきまして、その一ページ目に、永六輔さんの「日本のここが心配だ」というコラムが載っていたので、ここに一部紹介します。
「いまたとえば「いただきます」という言葉を言わせない学校がある。給食費を「払って」いるのだから「いただきます」はいわせないでくれとPTAが言い、その言い分を飲んだ学校がある……」
「ひええっ?」と、思っちゃった。(笑)
いま「いただきます」を言わせないように“教育”している学校が、かなり増えていると聞きます。
もし、我が子がそんな学校に通っていたとすると、わたしは即行で登校を拒否させることでしょう。
そんなPTAとは、付き合いをやめます。
日本中の学校が、そんなことを言い出したら、迷わずアメリカンスクールかチャイニーズスクールに子どもを転校させるつもりです。
いや、日本中がそうなったら、一家を率いて海外に移住する。
嘘や冗談じゃない、本当にそうします。
何でも、その学校のPTAの言い分では、
「我々は給食費を払っている。
よって、むしろ学校が『ありがとうございます』と言うべきで、金を払っているこちらが、『いただきます』などと言う筋合いはない」
という主張らしい。
どうやら、このPTAや、その言い分を受け入れた学校は、お金のことも、経済のことも、いや、それどころか
教育のことも、人間のことも、まったくわかっていない!
なぜか?
お金とは、物々交換を元にする交易の象徴であり、信用を表すものだからです。
我々は貨幣を信用しているがゆえ、紙切れやコインと品物を交換することで、生活を成り立たすことができる。
労働の対価として、肉や魚、穀物野菜といった現物ではなく、それに値するものとして、貨幣を手にすることができます。
だからこそ、お金は豊かさのシンボルとなり、ありとあらゆる品物を買うことができるのです。
よって、お金で世の中の相当なものが買えるということになります。
わたしは、「この世の中で、お金で買えないものは極めて少ない」くらいに思っています。
愛情だって、寿命だって、かなりの部分、お金で買うことができる。
奇麗事ぬきで、これは事実です。
その証拠に、お金がないゆえに、命を落とし、家庭家族が崩壊する場合がいかに多いことか。
でもね。
万が一、世界の富のほとんどを一人占めしていたとしても、相手が売ってくれないと買えないのですよ。
売りたくない人から、モノを買うには、必要以上にお金を積む必要があります。
通常の2倍3倍は当たり前。
ヘタをすれば10倍20倍と値段が上がります。
こんなことは、少しでも経済感覚、いやいや、それ以前の原始的物々交換の感覚がある人なら、どんな バカ でもわかります。
だからこそ、買っていただいた方も、「ありがとうございます。いただきます」と、感謝し
売っていただいた方も、「ありがとうございます。いただきます」と、感謝するのは、常識以前のことと言ってもいいでしょう。
そして、人間が生きていく上で、なるべく避けたいのが、他者との余計なあつれきや、他者から嫌われることです。
どんな人間が嫌われるかというと、
「お金を払っているんだから、てめえが感謝しやがれ」
と、言うような、 感謝の心がない人間は、間違いなく嫌われます。
売り手から嫌われた人間は、当然安く品物を買うことができなくなります。
そうなると、その人は嫌われたあげく、損をしてどんどん貧しく、不利益になっていきます。
これが感謝の心を持った人だと、売り手からは好かれ、サービスも良くなり、どんどんと良くなっていきます。
「給食費を払っているんだから、『いただきます』というのはおかしい」と言ったPTAと学校は、いかに子ども達にとってマイナスのことを言っていることが、理解できていないのでありましょう。
まして、食事という人間の生命をつなぐ大切な行為の前に、
「いただきます」
というのは、食べ物への感謝はもちろん、生産や流通、親、料理を作ってくださった方、共に食事をしてくれる先生や友だちへの感謝の気持ちとあいさつでもありまして、それこそ人間教育の第一歩なのは当然です。
しかも、相手はまた人生経験が白紙に近い子どもでありまして、そういった子ども達に対して
「お金を払ったんだから、お礼を言われるのこっちの方だ。だからお礼を言わないようにしよう」
という教育をするということは、感謝やあいさつの出来ない人間を養成しているのと同じであり、数年間もそういった生活を続けていくということは
PTAと学校がそろって、
感謝の心が無い人間=人から好かれない人間
仕事がうまくいかず、うまく利益を得ることができない人間
を、養成しているのと同じといえます。
よってわたしは、PTAや学校がそのような感謝の心を教えない教育をするようなら、即行で我が子の登校を拒否させます。
即行で転校をさせます。
そんな学校に子どもを通わせて、子どもの一生を台無しにしたくないがためです。
これは、子どもをダメ人間にさせないための、親としての精一杯の抵抗、防衛といえましょう。
そして、損得を抜きにして、感謝の心は人間関係の基本であり、それを表し、人に伝える、子どもにその伝え方を教えるということは、とても大切なものだと、わたしは思います。
FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)