人間は学習する動物である

「人間は考える葦である」

ブレーズ・パスカル(1623-1662)17世紀のフランスの数学者・哲学者―


「人間は考える葦」と、言ったのは偉大な数学者パスカルですが、パスカルに対抗して、異大なる現代のヘクトパスカル、巨椋修(おぐらおさむ)も言いましょう。
(あ……、ヘクトパスカルってのは、気圧とかの単位で、1パスカルの100倍が1ヘクトパスカルね。つまりあたいは、パスカルより100倍異大というあくまで洒落です。(笑))



「人間は学習する動物である」



え? 当たり前だって?

そう、当たり前です。


人間の行動のほとんどは、学習によって成り立っておるのです。

人間の3大欲求、3大本能であるところの、


睡眠欲

性欲

食欲


これらも学習によって成り立っておるのですよ。


睡眠だって、ところ構わず眠れる人は、ところ構わず眠れるように学習した結果です。

不眠症も眠れないと学習して習慣化した結果でしょう。

枕が替わっただけで眠れないという人も学習の結果。

セックスだって、いろいろな性癖や方法も、学習してそうなっちゃうと言ってもよろしい。

梅干を見て、唾が出てくるのも学習の結果と言えますな。

オーストラリアのアボリジニは、虫の幼虫を見て、「うまそ〜」と思いますが、ほとんどの日本人は、虫の幼虫を食べるということを学習していないから、そうは思わない。



さてさて、不登校の子どもがなぜ、学校へ行けなくなるのかというと、学校に行くと不愉快な思いをするというのを、学習したからなんです。


ひきこもりの人が、なぜひきこもっているのかというと、外に出るよりもひきこもっている方がマシ。と、学習した結果です。



例えば、学校へ行くといじめに会う。
     ↓
いじめは苦痛以外のなにものでもない。場合によっては拷問である
     ↓
だから学校に行きたくなくなる



これが、不登校の例えのひとつ。


これは、学校へ行くと害になると学習し、自分を守るためにとった自衛の手段といえます。


ほかにも、人付き合いが下手であるとか、何か心に傷がついてしまったとか、いろいろとありますね。

では、不登校からひきこもりへとなっていくには、どういった例があるか?



自分を守るために、学校へ行かなくなる。
     ↓
ところが、親はそんなこと知らないから、学校へ行けと怒る。
     ↓
子どもは「自分を守るために学校には行かない」なんてことは、なかなか言えない。
     ↓
親は理解できないから、無理やり学校へ連れていこうとする。
     ↓
子どもは、学校に行ってもつらい思いをする。家にいてもつらい思いをする。
     ↓
子どもにとって、学校も親も安心できない相手になる。
     ↓
そこで、唯一安心できる場所である自分の部屋にひきこもる。



これが、不登校かひきこもりへの例のひとつ。


子どもはまず、学校へいったらひどい目に会うと学習する。

ついで、親も味方ではないと学習するということです。


この場合、子どもが悪いとか甘えているとかは、とても言えませんね。


学校に行って拷問を受け
     ↓
親には言えず、親は拷問を受けるとわかっている場所に連行しようとしている状態


と、いうことですから、そんな子どもに甘えているとか怠けているとか言える人は、ヒットラー並の冷酷さであるとさえ言えます。

そうでなければ、認識不足。



また、親も悪いとは言えない。

親はいじめられているという実態を理解していないわけで、子どもがどれくらい傷ついているのかがわからないからです。

また、親もこれまで学習してきた、「子どもは学校へ行かなくてはならない」、「学校に行かないと子どもの将来がダメになる」という常識に呪縛されているわけですから、親が悪いと責めるよりも、その呪縛を解くほうがいいということになります。


呪縛を解くとは何か?


我が子が、学校へ行くと傷つくいうことに気付くことである。


次に、いまは学校に行かせないほうが、我が子に利益になると気付くことである。



もともと、親が子どもを学校に行かせたいと思うのは、子どもに利益があると思っているからです。


ところが、学校が子どもの利益にならないとわかっていて、行かそうとするのは【常識という呪縛】というほかないと言えるでしょう。


それがわかったら、不登校問題は解決に近づいたも言っていい。


子どもの利益を考えるとして、次はどんな手を打つか?


まず、子どもが傷ついているとしたら、傷を癒すために休息を与えるのが一番でしょう。


次に、子どもには教育が必要ですから、何らかの教育を与えたいところでしょうし、人間は社会的動物ですから、集団行動も学習させてあげたいと思うでしょう。

その方法を、再び学校にするもよし、他の手段を取るもよし。

方法はたくさんあります。



また、子どもが働く年齢になっていて、ひきこもっている場合も同じといえます。


神経症といった病気も、これまでいろいろな事柄から、学習をして、病気になることによって、自分を守るという場合が少なくありません。

では、病気を治す。

ついで、リハビリをする。

リハビリの方法もたくさんあります。


それもまた学習と言えるでしょう。


その学習は、30歳からでも、40歳、50歳からでもはじめることができます。



人間は学習する動物である。


そして、学習は常これからはじまり

いつでも、いつまでも学習し続けるものであると思います。




FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)