自殺について考える
一年間でこの季節が、もっとも自殺者数が少ない季節なのだそうです。
だからというわけではないが……
いえ、もっとも自殺が少ない季節だからこそ
あえて、自殺についてのぼくの個人的な意見を書こうと思います。
ぼくはこれまで、このブログをはじめ、講演などでも、自殺予防について、ずいぶんと書いたり話したりしてきました。
しかし、ぼくは、自殺というものを、必ずしても“悪”として捕えていないのです。
いえ……、多くの苦しんでいる人の話しを聞き続けていると、安易に「自殺は悪だ」とか、「人間死ぬ気になったら何でもできる」と、言えないのです。
自らの命を絶とうとする人の話しを……
ときには何時間も、何日も、場合によっては同じ人から何十回も聞いているうちに、ぼくはときどき
「この人は、もう死んで楽になった方がいいんじゃないか?」
と、そう思ってしまうこともあるくらいなのです。
「この人が死ねば、周囲の人もずいぶんと助かるだろうに……」
と、そう思ってしまうことだってあるのです。
おそらく、こういうことは、思っていても書いたりしてはいけないことなのかも知れません。
ぼくは専門家ではなく、カウンセラーでも医療従事者でもなく、自殺予防の支援者ですらないのですから、こういった話しを聞くことすらも、ふさわしくないのかも知れませんが……
だからぼくは、ときに話しを聞きながら、歯軋りをしたり、涙を流したり、怒りのために体が震えてくることがあります。
話しを聞いておきながら、その人に何かをすることも、ほとんどできないのです。
ぼくにそんな話しをしてくれる人の、多くは同年代か年上の男女で、長く生きていくことが、必ずいいことではないような……
つらいことが増えていくようなことをおっしゃる方もいます。
ぼくにできることは、話しを聞いて、もし必要ならせいぜい、これまでだと、公的な支援機関に一緒に足を運んだり、病院に一緒にいったりすることぐらいしかできないのです。
いまはその時間もとれず、せいぜい「○○というところが、相談を受け付けてくれますよ」と、伝えることくらいしかできません。
やっぱりぼくは、「自殺が悪だ」とは言い切れません。
自殺は、周囲の大勢の人たちに大きな傷跡を残し
金銭的にも残された人たちに大きな負担を強いることになることは知っています。
でも、ぼくは自殺する人を「バカ」「負け犬」と、蔑むことはできないのです。
かといって、自殺をしようとする人に対して、何かができるかと言えば、ほとんど何もできない自分がいます。
すみません。いろいろと反論・お叱りもあるでしょうが、これがぼくの正直な思いなのです。
FHN放送局代表
巨椋修(おぐらおさむ)